本が出ます
夏ごろから書いていた本が、無事『先読み「情報脳」の鍛え方 ~情報中毒社会サバイバルガイド~』として年明けに発売されることになった。紆余曲折あって現在のタイトルに落ち着いたが、中身は情報社会ってけっきょくなんだったのか、どうすれば情報をうまく入手できるようになるのか、情報社会は今後どうなっていくのか、ということをなるべく広範囲に書いたものだ。今回はこの本を執筆しながら思ったことをつれづれ書いていきたい。
情報中毒社会のむずかしさ
書題にもあるとおり、今は情報中毒社会である。つまり、情報があまりにたくさんあって、おまけにしょっちゅう不必要な情報が割り込んでくるが、その状況をなかなか改善できず、それどころかますます情報を欲するようになってしまう。例えば、なにか調べ物をしているうちに全然関係のない情報に辿りついてしまい、すっかり時間を潰してしまう……というのは誰もが経験したことがあるはずだ(この問題については以前「スルー力を越えて」にも書いた。また「今北産業革命」では、簡潔にパッケージ化されたコンテンツの必要性を書いた)。
ただ情報が多くて処理に時間がかかるというだけではない。ニコラス・G・カーは「ネット・バカ」というベストセラーの中で、インターネットの情報はただ多いというだけではなく、集中力の維持を妨げ、結果的に書籍などで情報を得るよりも理解力に劣ることがあるのに、脳はネットを使った情報収集のほうを快楽と捉えるようになってきている、と書いている。書題にサバイバルガイドとあるのは、この現状に対してなんらかの自衛策が必要だと考えたためだ。
いらない情報は捨てろ、というだけなら話は簡単である。しかし今日のインターネットには「役立つ情報」でさえ多すぎる。「効率的な情報収集」についての情報も多すぎるし、「役立つ情報のまとめサイト」あるいは「まとめサイトのまとめ」でさえ多すぎる。おまけにソーシャルブックマークには次々と新しい情報が並び、FacebookやTwitterは友人たちの「お気に入り情報」をひっきりなしに伝えてくれる。こうなってくると、必要になるのは「その情報は役立つし、面白いかもしれないが、それでも本当に必要なのか?」と自問する勇気である。
たしかに本書も、無数にある「効率的な情報収集」について書いた本のひとつかもしれない。しかし、できる限りこういったそもそも論から情報社会を見つめ直すよう努力した。
情報ダイエットの時代へ
本を書き上げてから思ったことだが「それでも本当に必要なのか?」という自問はダイエットに似ている。美味しいからと言って食べすぎては体を壊すというわけだ。とすれば、インターネットはいわば巨大なバイキング形式のレストランだろうか。昔は、新聞は隅々まで読む、全国紙はすべて目を通す、というようなことが美徳とされたものだ。しかしいまでは海外の新聞もインターネットで簡単に読むことができる。すべてに目を通すなんてことはできない。必要な情報を腹八分目に留める心がけが必要だ。我々は情報収集のために生きているのではなく、なにかをするために情報を収集しているはずだ。食べるために生きているのではないように。
今後こうした情報ダイエットに関するニーズは確実に高まっていくだろう。たとえば中高生を携帯電話以外にも目を向けるようにするというような活動は、その一種と言える。世の中にダイエット機器やダイエット本が溢れているように、情報ダイエットに関する取り組みも色々な方法が提案されていくに違いない。
しかし、無理なダイエットで体を壊してはいけないように、情報ダイエットといっても、ネットを断ち切ればそれでいいというわけではない。良くも悪くも、この十五年でインターネットが爆発的に普及し、私たちは情報であふれる時代に辿り着いてしまった。情報社会という言葉は使い古されてしまったが、情報をどのように向き合えばいいのか、カーが言うように情報がどのように脳へ影響を与えるのかも含めて、まだ私たちはきちんと理解していないのではないだろうか。