食育だけでなく音育も

目一代、耳二代、舌三代

という言葉を大学時代、恩師から教わった。どういう場面で師の口から飛び出したのかは忘れてしまったが、 意味は覚えている。

美しいものを見る目(感覚ばかりではなく感性も含む)は本人の日頃の習慣や努力で成しえる。 しかし、良い音(音楽も含む)を聴けるようになるには本人もさることながら、 子どもの頃からの親の指導や習慣も影響する。 さらに、美味しいものを味わう感覚になると、祖父母の代から味わい楽しむ生活を していないといけない。
たしかこのような意味だった。 この言葉を聞いた十数年前、偉大な音楽家は親子で才能が継承されていることが多いとか、 有名シェフや料理人と言われている人々の育った環境の話を思いながら、 なるほどと納得したものだった。 しかしその後、教育文化施設の情報設計を通じて メディア環境仕様やメディアリテラシーについて考えるたびに、 どんどんこの言葉の意味が深いと思うようになってきた。

これからのナレッジ社会においても、知識形成ばかりでなく、 社会の変化に左右されにくい「感覚」を磨くということもとても大切なことだ。 が、感覚形成は非常に難しいことであり、時間もかかる。 さらには、感覚を失っていくこともまた、 世代という時間単位でゆっくりとわからないうちに進んで行くと思うのだ。 冒頭に紹介した言葉は非常に深遠だと思う訳である。


スローフードや食育

運動がさかんだが、どちらも食べることの大事さを伝えていこうとする運動なのは みなさんもご存知だと思う。 私も、けして高級なものでなくていいが、 自然な食材を旬に(本当の姿のものを)食べることはとても大事だと思うのだ。

見ること、聴くことも同じだと思う。 通勤通学の電車の中、プレーヤーのおまけ程度の安いヘッドフォンで、 デジタルでサンプリングされ、音圧を強調され、さらに高圧縮された音に浸る日々。 合成された味や強調された香料に慣れてしまうことを危惧するのと同じように、 たとえばもっと音の音色や質に対する感覚についても危ぶまなければいけない。

ITを使った感覚形成支援の試みもいくつかある。 たとえば九州芸術工科大学では、聴能形成という実習が行われており、岩宮眞一郎教授によって 「真耳」 という教育ソフトが開発されている。 また、千葉工業大学の大橋力教授は、以前より人間の可聴領域と言われている周波数以上の 高周波音についての生理的・心理的効果について研究されている。 数年前になるが私も高周波音が再生可能な同氏のスタジオで、 現在のCDレベルのサンプリング周波数で記録できる音と、スーパーアナログディスクや さらに可聴領域以上の高周波音を記録できる1ビットサンプリングの音との違いを聞き比べたことがある。 どの音源なのかは明かされずに聞いたのだが、CDレベルのデジタル音では 聞いていて何となくイライラを感じた不思議な体験だった。


レコーディングエンジニア

の赤川新一さんと先日久しぶりにお会いした。 このコラムでも 以前紹介 したことがある同氏によれば、 東京にある本格的なレコーディングスタジオが今どんどん閉鎖されているそうだ。 すでに音楽コンテンツづくりのノウハウ(耳や技)、環境が継承していけない問題が出ていて、 このままでは日本では本格的な音楽レコーディングはできなくなるのではないか、 という危機感を持ち始めたそうだ。 どうしたらいいだろうかという赤川さんのお話は私にはあまりにも荷が重すぎる。 が、CD制作についても価格破壊が起こっていて、 都心の一等地に広いスタジオを維持することができなくなったことが一番の問題とのこと。 ならば、東京近郊や交通の便が良い地方都市で運営に苦しむ音楽ホールを 活用するのはどうかという話になった。

さらにそのホールではプロのレコーディングばかりでなく、 音を創り、録り、聴くことによる地域交流の場として活用したらどうだろうか。 赤川さんのような第一線で活躍するレコーディングエンジニアの方を はじめとする音響のプロの方と、地域の人々が聴覚を鍛える道場として活用できないだろうか。 そんな話をしてみたところ、これは「音育(おといく)」ということで 是非実現に向けて活動をしてみようということになった。

フレンチシェフの三国清三氏は、なるべく時間を作り、 全国の小学校を回り子どもたちに味覚の授業をしているそうだ。 舌の敏感な味覚(甘味、塩味、酸味、苦味)は小さい頃につくられるので 子どもの時から良い食べものを教えることが大切だという信念からの行動力は素晴らしい。

先日、旧渋谷五島プラネタリウムドームを使った ビル閉館イベントで、 真空管アンプと手作りスピーカによる音楽鑑賞の場が設けられた。 生演奏とまで言わないが、たまに思い切りナチュラルな音にどっぷり浸れる場があってもいいと思った。



参照

九州芸術工科大学における聴能形成

2001.09.04「マジカル・サウンド・ツアー」
(Take IT Easyバックナンバーより)

2003.08.06「老舗プラネタリウムからのラストメッセージ 」
(MRI TODAYバックナンバーより)