AIで大局観を鍛えることが次世代の技術伝承に

近年、将棋界が注目され続けている。そのきっかけは電王戦での将棋AIの台頭に始まり、藤井聡太七段の最年少棋士記録と連勝記録の更新、そして羽生善治竜王の永世七冠達成と歴史的な偉業が続いたことによる。そして、今年7月に豊島将之八段が棋聖を獲得したことで、約30年ぶりに全タイトルを異なる棋士が保持する状態(2018年9月4日現在)となっており、群雄割拠の様相だ。そのうち半数超を30歳以下の棋士が保持しており、世代交代の波も押し寄せている。

進化を続ける将棋AI

2017年4月電王戦において、山本一成氏らが開発した将棋AI 「Ponanza」が佐藤天彦名人に勝利した。しかし、その後も将棋AIは進化を続けている。当時のPonanzaはディープラーニングを用いていなかったが、その後Ponanzaもディープラーニングの応用に成功し、またGoogleも2017年12月にはAlphaGo Zeroを将棋に応用した、人間の棋譜を一切活用せずに作成したAlpha Zeroを発表し、2017年世界コンピュータ将棋選手権の覇者である将棋AI「elmo」を上回っている[1]。2006年に保木邦仁氏がBonanzaを作成してブレイクスルーを起こしてから10年、将棋AIの進化は急速に訪れ、一気にプロ棋士を追い抜いて行った。

将棋界の世代交代はITの進化とともに

また将棋界の世代交代の歴史の裏には、ITとの深いつながりがある。 近年の将棋界を担ってきたのは羽生善治竜王に代表される「羽生世代」だった。「羽生世代」が20代の頃は、序盤の定跡化が一気に進んだ時代だが、それは棋譜データベースが登場した時期と符合する。

そして現在、将棋AIの登場により、棋士にも変化が求められている。特に若手の強い棋士ほど、将棋AIの強さを正面から認め、積極的に活用し始めている。そしてAIの活用により多くの新しい戦術も登場している。20代を中心とした世代が次々とタイトルを獲得している背景には、若手棋士による将棋AIの積極的な研究への応用がある。

このように将棋界でもIT技術の変化と共に、プレイヤーの世代交代が行われてきた歴史があるのだ。

熟練技術へのAI活用が今後進んでいく

このような棋士の環境変化と世代交代から、企業が学べることがあるだろう。

特に熟練技術の必要な世界は、IT化が遅れているケースが多い。情報が技術者の頭の中にだけ存在し、データの管理が不十分であったり、いまだに紙で運用している現場も多い。しかし、近い将来、熟練技術のAI化が実現され、これまで強みであった技術がもっと効率的に実現されてしまう日が訪れる可能性がある。

そこで熟練技術にもITを活用することが考えられないだろうか。シミュレーションと機械学習の組み合わせによる材料開発への応用(マテリアル・インフォマティクス)、画像認識による不良品の検知、新商品の試作結果の予測など、製造業の開発現場でも活用できる様々な技術が登場している。これらの技術を活用することで、作業の効率化が実現され、熟練技術者が新技術の開発など、よりクリエイティブな作業に集中することができるだろう。

AIを用いて人間の大局観を鍛えることが技術伝承に

そして、これらのAIシステムは単に作業の効率化に留まらず、技術の学び方を変えるものになるはずだ。

将棋AIに造詣が深いことで有名な千田翔太六段は、自分の感覚をソフトの感覚と置き換えることを目標としており、盤面を見ただけでかなり正確なソフトの盤面評価値を言い当てられるそうだ。コンピュータ同士が対局するfloodgateというサイトを常日頃観察し、そこから新しい手を学んで研究している(千田六段は2017年の升田幸三賞を受賞[2])。前述の豊島棋聖も電王戦へ参加した後、対人の研究会をやめて、研究のほとんどをAIと行っているという。

一方で、将棋AIの評価値をあくまで参考値として考えている棋士もいる。例えば菅井竜也王位は将棋AIとも二度対戦し、早くからAIを研究に活用している棋士の一人だが、特にソフトの序盤の見立てはあてにならないと判断している[3]。それでも自分の新手を将棋AIの評価と比較しその原因を検討することで、研究に活用している(菅井王位も2015年に升田幸三賞を受賞[4])。

棋士によって捉え方に幅はあるが、共通していることがある。評価値の論理はブラックボックスであったとしても、あくまで結果を参照しつつ、個人の理解・感覚・大局観を鍛えていくという学び方である。

技術者も同様の学び方が有用となるだろう。

例えば、2018年にノースウェスタン大学らの研究チームが化合物の合成パターンの探索にAIを活用することで、新規の金属ガラスの合成パターンを従来の200倍効率的に発見したという報告がある。これは過去50年におよぶ6000件の実験データを取り込み、成しえた成果だ。だがここで、次世代の技術者は結果を活用するだけでなく、何故その組み合わせだったのか、他の組み合わせでは何故いけなかったのか、AIを用いて分析し、その理由を再度解釈することが重要だ。AIが効率的に導いた結果を人間が解釈し「汎化」することでノウハウとなり、実験例のない(=データのない)異なる対象に挑む土台となる。

今後は、現在熟練技術者が行っている作業の一部が、ブラックボックス化されたAIによって行われていくことになるだろう。しかし、その結果から逆に技術者が学ぶことで、高度な技術伝承や世代交代が実現されていくはずだ。

  • [1] 第27回世界コンピュータ将棋選手権では、2連覇中のPonanzaにディープラーニングを導入した「Ponanza Chainer」に注目が集まる中、優勝したのは新鋭の「elmo」だった。
  • [2] 升田幸三賞とは、将棋大賞の1つであり、定跡の進歩に貢献したものに与えられる賞。千田六段の受賞理由は、「対矢倉左美濃急戦・角換わり腰掛け銀4二玉・6二金・8一飛型」。ただ本人も、「個人としては、色々な非公式なところで、Ponanzaあるいはコンピュータ将棋を推していました(推薦理由は同様)」との発言をしており、将棋AIの影響を認めている。
  • [3] 将棋世界2017年12月号 対談 久保利明王将―菅井竜也王位「振り飛車に限界はない」
  • [4] 菅井王位の升田幸三賞の受賞理由は、「中飛車左穴熊やゴキゲン中飛車、早石田など数々の戦法における新工夫に対して」。将棋AIでは序盤で低い評価値となる「振り飛車」の戦型だが、菅井流とも呼ばれる独自の工夫を試み、タイトル「王位」獲得の原動力となった。