最近、ひとつの映画を見た。昨年公開された「ブレードランナー2049」だ。この映画はフィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を原作とした1982年製作の「ブレードランナー」の続編である。
「ブレードランナー」の世界では、遺伝子工学によって作成されたアンドロイドの技術が発展しており、見た目や知能において人と見分けがつかないレベルとなっている。そんな中、過酷な環境で労働を強いられている一部のアンドロイドが人間に逆らって逃げ出し、人間社会に紛れ込んで生活をするようになった。本作は、逃げ出したアンドロイドを捕まえるブレードランナーと呼ばれる職業を描いた作品だ。
人間と見分けがつかないAIが登場
AIの分野ではチューリングテストと呼ばれる実験が存在する。この実験は、ある審査員Aと被験者B、プログラムCがそれぞれ隔離されている状態で、審査員Aから被験者BとプログラムCに自由に質問を行い、その返答をもとにどちらが人間でどちらがプログラムであるかを当てる。当てることができなければそのプログラムに知能があると判断できる、というものだ。
そして2014年、世界で初めてチューリングテストに合格するプログラムが登場した。本プログラムは、ユージーン・グーツマンという13歳の少年を模して作られており、子供で、かつ英語が母国語でないという設定を巧みに利用し、上手く受け答えできなくても自然であるように見せかけた。これによって5分間のテストにおいて審査員の33%に人間であると判断させ、見事合格となった。
この結果に対して複数の識者から反論の声も上がっているが、特定の条件下ならば機械が人間をだますことができるというのは驚くべき結果である。この技術が悪用されないことを願いたい。例えば、インターネット上で女性と思って話していたら中身は男性だった、という話をよく聞くが、その中身がAIに変わる未来は十分想像できる。
AIが市民権を獲得
2017年10月、香港のロボットメーカー「ハンソンロボティクス」の女性型ヒューマノイドロボット「ソフィア」にサウジアラビアの市民権が与えられた。ロボットが市民権を獲得したのはこれが世界初だ。同様に、日本では2017年11月に渋谷区のAIアカウント「渋谷みらい」が特別住民票を交付されている。これらの事例のように、最近ではロボットやAIはただの機械やプログラムというだけではなく、人間に寄り添う存在として人々に認識され始めている。文字通り、ロボットやAIが“市民権を得る”時代が到来しているといえるだろう。
一方で、AIに権利が与えられることについて問題視する声も上がっている。ソフィアが市民権を獲得したサウジアラビアでは、女性は人前で素肌を曝せない、様々な行動に男性の許可が必要であるなど、女性の権利が制限されている。これに対してソフィアは顔を隠さず、人前で自らの考えを語って見せたため、サウジアラビアの女性よりも多くの権利が与えられてると考えられ、問題となった。
AIにも倫理観とワクチンが必要
これからの時代、AIとその開発者には今まで以上の倫理観が求められるだろう。2017年2月には人工知能学会で「人工知能学会 倫理指針」が発表された。この指針の9条には、次のように書かれている。
(人工知能への倫理遵守の要請)
人工知能が社会の構成員またはそれに準じるものとなるためには、上に定めた人工知能学会員と同等に倫理指針を遵守できなければならない。
AIを悪用しないことは当然としても、ソフィアの例のようにそれぞれの国の習慣や分野、宗教などに対して十分理解して、倫理観を順守するようにAIをプログラムすることが重要になるだろう。
また、最近ではGitHubなどで他人の書いたプログラムを共有し、気軽に実行できるようになっており、自分の書いたプログラムが知らないところで悪用されるということも起こり得る。倫理観をプログラムすることも重要であるが、悪用が懸念される技術については公開を控える、運営によって規制するなどの対策も必要になってくるだろう。加えて、ウイルスを作る際はワクチンを同時に作る必要があるように、AIを開発する際はそのAIを見分ける、もしくは機能しなくする方法も同時に提供することが必要ではないだろうか。「私はロボットではありません」でおなじみの画面のように、AIの悪用を防ぐことができる仕掛けを開発側が提供することが大切だ。
AIと協力して世の中を築いていこう
AIが世の中に広く浸透していくためには、AIを人間社会に適するように改良していくだけではなく、AIを利用しやすい世の中になるように人々の意識を変えていくことも必要である。特に注目されている分野としては、自動運転が挙げられるだろう。現在、自動運転車が事故を起こしたときに誰が責任を負うかが議論されている。このとき、一方的に責任のすべてをメーカーに押し付けてしまうと、だれも責任を負いたがらなくなり、完全な自動運転の実現は難しいだろう。ペットが誰かに怪我をさせたときに飼い主が責任を負うように、AIも使用者が責任を負う時代がやってきている。AIを利用することに適切に責任を負わなければ、AIのメリットを得ることはできないのだ。
さらに、AIを使わない人間にとっても、AIが浸透することで世の中が変わることを意識することが必要だ。AIも人間と同じく得手不得手があることを意識し、信号無視をしない、横断歩道を通行する、など人間側もルールをしっかり守ることで多くの事故は減らせるはずだ。AI時代のリテラシーをすべての人が学び、人がAIに協力することもAIとの共存に必要な要素の一つだろう。AIと人間の共存に向けて、相互が歩み寄っていくことが重要である。