良著に学ぶ:次世代ICTのビジョンとマネジメント ルイス・V・ガースナー・Jr.著『巨像も踊る』(日本経済新聞出版社、2002年)

マネジメント論の良著

本書は、苦境にあえいでいた1990年代のIBMを見事立て直した経営者、ルイス・ガースナー自らが、その経緯を詳説した書籍である。組織マネジメントや企業コンサルティングの書籍として扱われることが多いように思うが、ICTの観点から本書を読んでみると、また違った面白さが見えてくる。ガースナーが経営の最前線に立ち、かじ取りを行っていたのは1990年代前半であり、今から四半世紀近くも時代を遡るわけだが、その予見の的確さに脱帽するのである。

1990年代のIBMは、オープン化の流れを受け、メインフレームによる垂直統合型のビジネスモデルが崩れ始めていた。しかし、それまでの成功体験があまりにも大きく、重厚長大な組織となってしまったIBMは、その変化を受け入れることができないままに没落の一途を辿っていた。ウォール・ストリート・ジャーナルやエコノミストで、危機的な経営状況や先行きの不透明さが盛んに論じられていた。そのような状況下で、ICT企業出身ではないガースナーがCEOに就任し、的確な組織マネジメントにより、企業戦略的に大きな変革をもたらしたわけだが、特筆すべき点は、そのマネジメント能力もさることながら、その後のICTの方向性を完璧なまでに読み切っていたことにある。

ガースナーのたぐいまれなビジョン

メインフレームを中心としたハードウェア事業が主体だった当時のIBMにあって、ガースナーは社内で二流の事業とされていた情報処理サービスが、その後の原動力になると考えた。垂直統合モデルの崩壊に伴い、多くのプレイヤーがICT業界に参入してくることから、顧客の総合的なソリューションの企画や設計、構築支援が求められるようになるだろうと考えたのだ。

また、複数のコンピュータがネットワークに接続され、あらゆる企業やユーザー、システムがいつでもどこでも接続できるネットワークが、新たな価値を生み、コンピュータの進化の方向も根本的に変化すると考えた。
さらに、ネットワーク接続機器の増大、データやトランザクション量の急増、通信インフラの増強により、ネットワークに接続される装置やデジタル機器が増大することを見込み、半導体製造の事業を強化させた。これはまさに現在でいうところのIoTの流れそのものである。この半導体事業によりIBMは初めて、コンピュータ以外の産業にも参入することに成功した(半導体製造部門は2015年に売却し、製造事業そのものからは撤退している)。

現在からしてみればごく当たり前の話だろう。しかし、これらは全て1994年当時の話である。一部の研究機関でインターネットの利用は始まっており、変化の兆しはすでに出ていたとはいえ、社会の主流になってすらいない時期である。過去の成功に囚われ、官僚主義に陥っていたIBMほどの規模の企業の戦略を、明確かつ正確なビジョンに基づき転換させ、それを実現したということに、大きな意味があると考える。

苦しい時こそ二歩先、三歩先のビジョンが必要

翻って、我が国のICT関連企業の現状はどうだろうか。経営改革を後回しにし、会計不祥事を起こしてしまった企業もあれば、内需頼みのガラパゴス化にあえいでいる企業もある。クラウド全盛期を迎えている現在、当のIBMですら20年前とは全く異なるコンペティターとの熾烈な競争を余儀なくされているわけであり、その地位を維持することは生易しいものではないことは明白だ。過去の成功体験に引きずられるのではなく、10年先、20年先を見越す姿勢が必要だということは昔も今も変わらないのだろう。

現在でいえば、ICT関連企業にとどまらず、ディープラーニングやIoT、FinTechなどに活路を見出そうとしている企業が多く出てきている。その方向性は間違っていないと思うし、日本発の新たなサービスを数多く打ち出してほしいと切に願う。しかし、その挑戦は単に流行に乗ってみるだけというような小手先では、成功は得られないのではないだろうか。GEが利益の多くを生み出していた金融部門を敢えて売却し、製造業への回帰を本気で打ち出したように、既存の枠組みにとらわれず、社内外のリソースを集中することにより、新たなブレイクスルーが実現できるように思う。

苦境に陥っているときこそ、明確なビジョンとそれに裏付けられた大胆な戦略を持ち、それらを実現するリーダーの出現に期待したい。