氾濫の兆しが出てきたスマートデバイス
先日、Googleとリーバイスがスマートフォンの入力装置としての「スマートジーンズ」を共同開発するという報道 があった。研究段階という前提条件つきだが、「布地の一部を指でたたいてスマホの音楽を再生したり、上下になぞって音量を操作したり」したというデモの記事を読み、私は若干の違和感を覚えた。
スマートフォンの普及以降、スマートウォッチ、スマートホームなど、「スマート」と名のつくものが日々の報道をにぎわせている。しかし一方で、「スマート」が意味するもの、そのコンセプトが製品によって大きく異なるようにも感じられる。
IoTなどに代表される通り、「スマートナントカ」の流れは今までとは異なる価値を提供し、我々の行動様式に変化をもたらす重要な変革になりうる。よって、「スマート」をバズワード化させるのではなく、その意味するところを議論したいと考える。
「スマートさ」はソフトウェアによって定義される
経済学の大家マイケル=ポーターはHarvard Business Reviewの記事にて、IoTを引き合いに出し、「インターネットは、人をつなぐにせよ、モノをつなぐにせよ、単に情報を伝達する仕組みに過ぎ」ず、その画期的な価値は、「製品の機能や性能の増大とそれが生み出すデータ」であると指摘している。また同時に「スマート」であることの説明の一部として、「ソフトウェアの働き次第で性能に何段階もの開きが生じる場合がある」とも指摘している。さらにポーターは、接続機能を持つスマート製品のケイパビリティ(提供される価値・能力)として、「モニタリング」「制御」「最適化」「自律性」の4つの要素を挙げている。
つまり、デバイスがセンシング機能を持ち、データを生成し、それがインターネットにつながっていたとしても、それをどのように利用するか、ソフトウェアがどれほど洗練されているかによって、「スマート」の価値は大きく変わるということを意味している。「スマート」とは単にインターネットにつながっている、アプリがインストールできる、というだけではないということが分かる。
「スマート」の鍵は「プロアクティブ」と「自然体」にある
日本には40年前に、当時「スマートウォッチ」と呼ばれたとしても不思議ではない腕時計がすでにカシオ計算機から発売されていた。1974年に「電卓で培ったLSI(大規模集積回路)技術を生かし、デジタル腕時計「カシオトロン」を発売した」とのことである。1990年代に入ると消費カロリー計測ができる腕時計、音楽プレーヤーとして使える腕時計なども発売されている。
それらの製品が日本や世界の消費者のスタンダードになることは残念ながらなかった。カシオがiPodやApple Watchよりも数年先に元祖スマートウォッチを製品化していたのであるから、全世界のスマートデバイスのスタンダードを日本企業が占めていた可能性も十分にあったわけだ。
完成品としての地位を確立するためにはソフトウェア力が必要ということが言われるようになって久しい。IoT社会が本格化しつつある現在は、製造業に強みを持つ日本が巻き返しを図るまたとないチャンスだ。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、世界の注目度がいやおうにも高まる中、日本のメーカーがスマートデバイスにて復権するための鍵は、「プロアクティブ」と「自然体」にあると考える。
スマートフォンの普及により、検索、記録、コミュニケーションなど様々な行為が片手でできるようになった。しかし、まだ人間がデバイスに行動を合わせている、という側面は否めない。人間がアプリを切り替えるのではなく、デバイスが状況に応じて最適なアプリを提案する、より優れたアプリを探してきて提案するなど、デバイスの「プロアクティブ」な動きが重要となる。デバイスが利用者の行動様式、思考や嗜好、またその利用者以外の使い方やベストプラクティスを学習し、利用者の状況に応じて判断し提案できるような形になれば、ストレスは軽減され、利用者が想定していなかった利用の仕方もできるようになる。むしろアプリという概念すら人間にとっては不要になるかもしれない。
そしてそのデバイスは「自然」な形で利用できなければならない。反応速度は人間の行動・思考を妨げるものであってはならず、また重量や大きさ、バッテリ持続時間、デザイン性などの制限も極力排除されるべきだろう。普及に当たっては価格も重要な要素だ。あくまで日常生活の延長として、利用者に「デバイスを使っている」ということすら意識させないことが、新たな価値体験を提供する鍵となる。
スマートなデバイスで仕事や日々の暮らしをもっと”スマート”に
例えば、商談をしていれば議事内容に関連する過去の失敗・成功事例や同僚の提案書を提示してくれ、商談終了後には議事録のドラフト作成から営業支援システムへの登録までデバイスが実施してくれる、というようなことがあればオフィスワーカーの生産性は格段に向上する。
利用者が何かの目的のためにデバイスを使うのであれば、その目的以上のことは達せられないし、利用者の知識や理解がデバイスの限界となる。利用者の好みや状況に合わせて自然な形・タイミングで様々な価値を提供してくれる、そんなスマートデバイスがあれば、仕事の生産性や暮らしの充実度はよりいっそう高まるだろう。