インターネットでつかまえて

アメーバピグの自主規制

アメーバピグというウェブサービスがある。「ピグ」というアバターを作り、アバターを着飾りながら、他のユーザとチャットを楽しむオンラインコミュニティだ。

今月13日、このアメーバピグを運営するサイバーエージェントが、サービスの自主規制を発表した。規制により、4月24日以降、15歳未満のユーザはほとんどの機能が利用できなくなるという。

背景にあったのは、利用をめぐるトラブルだ。人気の裏返しか、アメーバピグでは未成年による不正アクセス事件など、トラブルが相次いでいた。運営側としては本来、誰よりも多くのユーザにサービスを利用してもらいたいはずだが、「青少年のみなさまを守るために必要な対策」(公式発表)として「子どもの安全を守るにはやむを得ない」(読売新聞の報道)と規制を決断したという。

規制は解決策か

しかし規制を発表したブログ記事には、「締め出し」を食らうユーザからのものであろう批判が殺到した。自分たちの「遊び場」を奪われるのだから当然の反応だ。自主規制に、トラブルを未然に防ぐ効果があるのは間違いない。しかし、今まで問題なく利用してきたのに、なぜ規制されるのかというユーザは少なくないだろう。さらに言えば、不正アクセスをめぐるトラブルは未成年に限ったことではない。出会い系に利用されるという声もあるが、だとすればまず批判を受けるべきは悪用する大人のほうだろう。

サイバーエージェントの対応をことさらに批判するつもりはない。しかしこの事件からは、インターネットを規制するのは簡単だという事実を再認させられた。技術的に言えば、プログラムを多少書き変えれば、それだけで15歳未満のユーザは排除できてしまう。社会的に言えば、青少年の健全な育成という題目の前で、こうした規制にわざわざ反対する人はそう多くない。実際、規制を疑問視する声は数えるほどだったのではないか。

それでも、こうした規制にはデメリットもあると指摘せざるを得ない。もしかしたら、アメーバピグから締め出された子供たちは、ネットにおけるコミュニケーションスキルという、これからの時代に必要な能力を磨く機会を失うかもしれない。大人の都合で規制が導入されれば、インターネットそのものに対する興味を失うかもしれない。将来「日本の若者はなぜネットリテラシーが低いのか」と言い出しても遅い。

アメーバピグはまだ一つの事例に過ぎないが、これから他のサービスも同様の規制を行ったり、あるいは業界全体が自主規制をはじめたりする可能性もある。

規制できるインターネット

インターネットといえば自由で、無法地帯で、中央集権的な管理機構が存在せず、規制するには難しい環境だと思われがちである。また、トラブルが続発しているのに法整備は遅れており、もっと規制を強化すべきだという意見もよく聞かれるところだ。

しかし、アメーバピグの事例でも分かるとおり、プログラムひとつでサービスを規制することは難しくない。大手企業が手を組めば、実質的にインターネットのほぼ全体を規制することも可能だ。インターネットコンテンツセーフティ協会は、大手の検索エンジンやISP、モバイルキャリアらの協力の下、児童ポルノのブロッキングを昨年から始めている。また、巨大産業となったiPhoneアプリについては、アップルが機能から表現に及ぶまで規制を行っている。アマゾンは電子書籍Kindleについて、同様のことを行っている。

また、米国では昨年末からSOPA/PIPAと呼ばれる著作権の保護強化を目的とした法案が激しい議論を呼んだ。SOPAが当初の法案通りに導入されれば、著作権を侵害するコンテンツをウェブサービスが掲載した場合、サービスごとブロッキングすることが可能になる。これも、技術的に不可能なことではない。

著作権の保護というSOPA/PIPAの題目は確かに重要だろう。しかし、例えば著作権を侵害したページがひとつでもあれば、Wikipedia全体がブロックされるべきなのだろうか。もしこうした法案が十年前に存在していたら、YouTubeやTwitter、Facebookは存在していただろうか。片や中東やアフリカを舞台に、ソーシャルメディアによる自由な情報流通が革命を後押ししたと騒がれていたばかりで、米国ではインターネット規制が話題になるというのは、なんとも皮肉なことだ。

ライ麦畑を見守る

すべての規制に反対しろと言うわけではない。児童ポルノのブロッキングは必要だろう。不正アクセスや出会い系のトラブルにも対処が必要だ。しかしインターネットを規制するだけが解決策ではない。なんにせよIT教育、特に親の教育は必須である。不正行為には法整備で対処することもできる。

日本人の平均年齢は四十代半ばなので、多数決をとれば、若者が楽しむサービスはなんでも不健全だと見なされかねない。だが、2ちゃんねる、ニュースグループ、パソコン通信のフォーラム……オンラインコミュニティは昔から絶えず存在してきた。不健全な行為もあっただろうが、そうしたコミュニティを楽しんできた人であれば、利用者の締め出しなど不要だと感じるのではないか。

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルは、ホールデンという主人公の少年が、ライ麦畑で遊んでいる子供が崖から落ちそうになったとき、助けてあげられる大人になりたいというシーンに由来する。牧歌的すぎるかもしれないが、私はまだそんな大人になれたらいいなと思う。崖があるからといって、ライ麦畑から子供を締め出すのが正解だとは思わない。そうしてインターネットに触れることで、彼らの中から、またどんどん新しいものが生まれてくるのではないだろうか。