情報インフラとしてのFacebook

8億人規模

9月22日、Facebookが開発者イベントf8で様々な新サービスを発表するとともに、会員数が8億人を超えたことを明らかにした。1日のアクティブユーザー数は5億人に到達するそうだ。Facebookはこれまで多くの企業が試みたが、うまくいかなかったことを実現しようとしている。それは、インターネットを自分のものとすることである。

いまやFacebookは、友達と繋がってコミュニケーションをする、ただのSNSではない。写真や動画を共有し、様々なアプリやゲームを楽しめる統合サービスプラットフォームでもない。Facebookはインターネットを股にかけた、巨大な情報インフラになりつつある。世の中にはFacebookを大好きという人も、大嫌いという人もいるだろうが、そろそろ彼らがインフラを作っているという事実について考えなければいけないのではないか。

情報が集約される場所

Facebookはユーザ規模の大きさから、よく国に例えられることがある。この例えに倣えば、Facebookは今や中国、インドの次に巨大な国だ。この比喩がどこまで適切かは議論の余地があるだろう。しかし他のウェブサービスとは異なり、Facebookに登録することは、インターネットのあらゆる場においてFacebookユーザとして振る舞うという意味を持つ。そう考えると、確かにFacebookはオンライン国家と呼ぶのに相応しい。

たとえばニュースサイトにあるLike(イイネ!)ボタンを押すと、その行動はFacebookへ投稿される。先日発表されたRead機能の場合、ユーザが事前に設定を行っていれば、ボタンを押すまでもなくなにを読んでいるかがFacebookに伝えられる。facebook.comは言わばFacebook国の役所・広場にすぎず、Facebookユーザはほかのウェブサービスを利用していても、Facebook国民として見なされ、さまざまな行動がFacebookへ伝わる。インターネットにおける情報のやりとりが、Facebookというインフラの上でなされているのである。

他にもユーザのオンライン行動をトラッキングするサービスはある。広告配信サービスなどがそうだ。しかし、ここまで徹底して、行動情報を集めること自身を目的としているサービスはFacebookを置いて他にないだろう。そのため、Facebookにはプライバシを懸念する批判が常に付きまとう。議論によって方針が変えられた例もある。しかし彼らが着々とインフラを構築していることには変わりがない。

セミオープン戦略

かつてのFacebookは、リッチではあってもよくあるクローズドなコミュニケーションサービスであった。しかし、2008年にFacebook Connectが発表されたころを境に、Facebookは一気にインフラを志向するようになった。人間やコミュニケーションに関するデータをクローズドに蓄えるだけではなく、他のウェブサービスとの連携に利用するようになったのだ。今では多くのウェブサービスがFacebookの読者欲しさに、Facebookとの連携をはじめている。Facebookはその連携から、ユーザの行動情報を収集して、自分たちのコンテンツとする。コンテンツはどんどんFacebookに集約されていくので、Facebookにはさらなる会員が集まる。そしてさらに多くのサービスがFacebookとの連携を試みる……。

World Wide Webは原則として情報をオープンにするシステムであり、だからこそここまで成功した。2002年ごろからFriendstarやOrkutのようなSNSと呼ばれるようなクローズドなコミュニティが流行したが、これらはあくまで自分たちの殻に閉じこもるだけのサービスだった。しかし今のFacebookは、オープンとクローズドのいいところどりをした「セミオープン」戦略である。セミオープン戦略はここ数年のインターネットにおける最大の「発明」のひとつだろう。映画「ソーシャル・ネットワーク」に続編があるなら、ぜひ題材にして欲しいものだ。

日本での出遅れ

日本でも昨年ごろからFacebookが話題となっており、ニールセン・ネットレイティングスによれば8月の利用者数は1000万を超えたそうである。この数字はいわゆる訪問者数(UU、ユニークユーザー数)であり、会員以外の人がFacebookの公開ページを訪れた数も含まれるため、実際の会員数がどれほどかは分からない。いずれにせよ個人的には、まだその程度なのかという感じがする。国産SNSのmixiは2000万会員を謳っている。8億人という世界規模を考えても、Facebookは日本で出遅れている。

無理はない。日本にはmixiやグリーといたSNSがすでにある。Facebookのユーザ獲得に大きく貢献しているオンラインゲームも、日本ではモバゲーやグリーといったモバイルゲームが先行しているため、新鮮味はない。コミュニケーションサービスという意味ではTwitterがかわりに人気を集めている。日本のウェブサービスに慣れた目から言えば、Facebookに新鮮味を感じないのも当然だ。しかし繰り返しになるが、Facebookが目指しているのは情報のインフラである。これから少しずつでもアクティブユーザ数が増えていけば、日本においてもインフラとしてのFacebookの価値はどんどん高まっていく。どうやってFacebookからのアクセスを集めるかが他のウェブサービスにとって重要な問いになっていくだろう。

ライバルは存在するか

インフラとしてのFacebookにライバルはいないのだろうか。GoogleはGoogle+のもとで自社サービスのソーシャル化をはじめている。今後はGmailやカレンダー、YouTubeもGoogle+化していくはずだ。しかし、すでにGoogle+化されたPicasaが中途半端な状態にあるように、現在のサービスの形を守りながらGoogle+へ移行するのは難しい。大勢の既存ユーザが反発するのは必至で、ここにジレンマがある。

日本では今もなお、mixiがもっともFacebookに近い存在だろう。Facebook Connectのようなmixi Connectというサービスも展開している。しかしmixiは「クローズドなSNSだから安全・安心」という切り口で多くのユーザを獲得してきたがために、Facebookのように他サービスとの連携をうまく進められていない。こうして考えるとFacebookは、ごく短期間のうちにmixiと同程度の会員規模にまで成長していくのではないか。

ビジネスに特化したLinkedInや、位置と連動するFourSquareのように、ほかに注目すべきSNSがないわけではない。しかしそれらはインターネット全体を覆う基盤になろうなどという野望を抱いてはいない。

未来はFacebookありきか

私たちのネットにおける行動をFacebookが収集し、管理する。それがどういう意味を持つのか、十分な議論が進んでいないように思われる。ひとつ確実に言えるのは、この勢いでFacebookが人気を獲得すれば、遠からずFacebookのない状態には戻れない日が来るということだ。すでに戻れないという人も多いかもしれない。

もしGoogleより優れた検索エンジンがあれば、私たちはそれほどためらいなく乗り換えるだろう。しかしGmailより優れたメールサービスがあったとして、乗り換えられない人は多いのではないだろうか。Gmailはメールのインフラだからだ。そしてFacebookが実現しようとしているのは、もっと巨大なインフラだ。そこには、私たちのコミュニケーションがあって、写真があって、人間関係があって、ニュースがあって、歴史がある。Facebookがf8で発表したサービスのひとつは、私たちの年表を作る「タイムライン」である。象徴的だ。Facebookは限りなく「私たち自身」と近付いて来ている。それは良いことなのだろうか?

「嫌なら使うな」「面倒になったらやめればいい」という意見もあるだろう。しかしFacebookを使わなければ、友達に連絡がつかなくなるかもしれない(Facebookはメールを時代遅れにさせようとしている)。就職活動でFacebookのアカウントと「タイムライン」の提出が必須になるかもしれない。インフラになるとは、そういうことだ。Facebookで三番目に大きい国という比喩は、もはやそう無邪気なものではないかもしれない。