もうひとつのクラウド

クラウド(Cloud)コンピューティング花盛りである。

現在のインターネットの原型ともいえる ARPANET の最初のノードがデータ送受信を開始したのが、1969年9月というから、ここから数えてインターネットは今年でちょうど40歳となるわけだが、その間、インターネット接続ホスト数は急激に増加し、 2009年7月時点では、 約7億個のホストが接続されていると見られている。 7億個のホストは極めて複雑に絡み合っており、もはや誰もその全貌を正確に把握するすることはできない。まさに雲(Cloud)と形容するにふさわしい。

雲の上の群集

一方、Wired 誌の編集者である Jeff Howe が命名したクラウドソーシングという概念がある。日本語で書くと混乱してしまうのだが、同じクラウドでもこちらは雲ではなく、群集をあらわす Crowd である。クラウド(Cloud) コンピューティングが機能を分担するコンピュータネットワークを雲と形容したのに対し、クラウド(Crowd)ソーシングでは、雲に住む住人(群集)に焦点をあてている。端的にいえば、雲に住む住人による集合知を引き出す仕組み、ということになる。ただし、「集合知」という言葉がやや漠然とした可能性を示しているのに対して、クラウドソーシングでは、より具体的なプロセスとして、思いもよらぬアマチュアの力をうまく効果的に引き出す仕組みが検討されている。

たとえば、リクルートが展開する C-TEAM では、広告クライアントの要望に対して、登録したユーザがバナー広告の案をそれぞれ持ち寄り、これらをみんなで評価することによって優れたアイデアを発掘する仕組みである。こうした取り組みは、クリエイティブなアウトソーシングだけではなく、より企業にとって本質的な分野にまで及びつつある。たとえば、クラウドソーシングの事例としてよく引き合いに出される P&G の Connect + DevelopInnoCentive などは、経営的な課題や技術的な課題など、通常企業内部で解決すべき重要な課題に対しても、世界中の技術者に対して広く公募を行い、解決策を捜し求めるものである。

アウトソーシング先を不特定多数とすることで、通常企業内部では考え付かないような斬新な(時には先進的な)アイデアを募り、またこれらをコミュニティとして共有することで、競争原理を働かせ、高い品質をも同時に確保しようというのがクラウドソーシングの意図するところである。

品質はいかに確保されるのか

一般的なアウトソーシングが契約関係によって成果物の品質が保証されるのに対して、クラウドソーシングでは、契約関係といったものは存在しない。参加者のインセンティブは、採用されたアイデアに対する報酬といった部分もあろうが、多くはそのアイデアが受け入れられたといった技術者やクリエイターとしての満足度であろう。この部分は、オープンソースソフトウェアにおいて、頻繁な改良が加えられつつも高い品質が保たれている理由と通じるものがある。

しかしながら、文字通り不特定多数・匿名によるアイデアに対しては、実際にどのようにその品質や信頼性(正しさや、それが正当な創造活動によるアイデアであるかどうか)を保証できるのか、という問題はあろう。ひとつの解決策は、完全な不特定多数ではなく、何らかの資格や能力を必要条件とするような仕組みである。たとえば、技術的なアイデアやソリューションを公募するのであれば、その分野での学位や一定年数以上の経験を持っていることを前提とすることなどが考えられる。

もうひとつは群集による自動的な浄化作用を期待することである。人数が増えれば増えるほど、誤った情報や、盗作等を見つける可能性が高くなり、より正確な、かつ価値の高い情報が生き残っていく可能性が高い。たとえばしばしばその信頼性が話題になるWikipedia でも 信頼性システムを導入する動きがあるが、ここで導入される信頼性判断は、変更履歴をもとにした非常に単純な仕組みに基づくものである。つまり、変更履歴を解析することによって、多くの閲覧があるにも関わらず、長い期間にわたり手が加えられていないものを信頼度が高い、として評価するものである。おそらくこれがうまく機能するであろうと考えられるのは、 Wikipedia のユーザ数が非常に多いことによる。多数決による信頼性評価は、「みんなが間違っていたらどうなるのか」という問題を確かに孕んでいるが、実のところ、この問題はネット上の知識に限った話ではない。

クリティカルな業務のアウトソーシング

アウトソーシングというと、比較的単純な業務に対してコストを抑えるため、というイメージが強いが、クラウドソーシングでは、単純な業務というよりはむしろ、技術や知識を持っている人の「空き時間」を想定した仕組みであり、本来的には極めて付加価値の高い高度な思考活動を期するものである。したがって、今後は、企業にとってよりクリティカルな業務、たとえば、人材開発や事業戦略、製品企画、あるいは企画提案といった業務に対するアウトソーシングも期待されよう。

むろん、これらの業務は、企業においては秘匿性が高く、タスクとして外部に公開することは一般的には困難である。しかしながら、これらのタスク情報に含まれる具体的な部分をうまく隠蔽できれば、アイデアの本質のみを競ってもらうようにすることもできるのではないだろうか。実際、前述の P&G では、従来の「技術の囲い込み」方針から一転してオープン化を進め、社内にいる技術者の何十倍、何百倍といったコミュニティを外部に組織することにより、革新的なアイデアの開発を目指しているのである。

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