Web 2.0の次はライフログ?
今月、日経コミュニケーションとITproの主催で「ライフログ・サミット 2009」なるビジネス・カンファレンスが開催される。ITproの参加申し込みページには「Web 2.0の次はコレ!」というフレーズがあって、どうやらライフログなるものが流行りそうな気配である。
米国DARPAが個人のあらゆる情報を蓄積・監視する、その名もLifeLogプロジェクトを公表して批判に晒されたのが2003年のこと。マイクロソフトのゴードン・ベルが手がけた、スケジュールやメールや写真といった個人のデータを大量に蓄積・活用するMyLifeBitsプロジェクトが話題になったのも同じころである。かくいう筆者も、学生時代からライフログの研究に携っている。しかしLifeLogは批判を受けて中止され、MyLifeBitsは続報が聞こえてこない。だからこうしてライフログが話題になるのは、嬉しい反面、なぜ今になって印象もあって不思議な感じである。
なぜ今ライフログが話題になるのか
マルチメディア、ユビキタス、Web 2.0といった過去の流行り言葉と同様、ライフログもそれがなんであるかを厳密に定義するのはむずかしい。しかし定義が曖昧だからこそ、なぜ今になって持ち上げられるのかを理解することもできる。
たとえばマルチメディアは、画像や映像といった様々なメディアを閲覧したり編集したりするという、データ利用の問題であった。ユビキタスでは、そういったマルチメディア情報を自宅のPCで利用するだけでなく、いつでもどこでも利用できるようにするという、データ・アクセスの問題であった。Web 2.0はブログ、SNS、画像・動画共有サービスなどを用いた個々人のデータ発信の問題、あるいはサービス事業者にとってはデータ収集の問題であった。
そう考えるとWeb 2.0の次なるものとして、今になってライフログが話題になるのも納得できる。ライフログとは収集したデータをいかに解析し、いかに活用するかという問題だからである。様々なマルチメディアデータがあり、いつでもどこでもデータを送受信できるユビキタス環境が整い、誰でも情報を発信できるWeb 2.0が普及した今、そうして集まった大量のデータをどう生かすかが次なる問題となるのは当然である。まさにそれこそが、ライフログなのである。
それではWeb 2.0ブームのように、今後ライフログ・サービスが次々と生まれ、人々に浸透していくのだろうか。そのためには、ふたつの課題を克服する必要がある。
ライフログの課題:分析するデータはどこ?
ひとつは、ライフログがデータを収集し解析するものである以上、素晴らしいアイデアがあっても、収集し解析できるデータがなければなにも実現出来ないということである。これを端的に示したのがWeb 2.0を提唱したティム・オライリーである。彼はWeb 2.0の解説の中で「データは次世代の『インテル・インサイド』」と表現し、これまでハードウェア企業にとってインテル製チップを搭載することが重要だったように、これからサービス企業にとってデータを所有することが重要であると2005年の時点で説いている。
たとえば、Googleはたくさんのデータを持っている。利用者の検索履歴はもちろん、メール(Gmail)、スケジュール (カレンダー)、ブログ(Blogger)、オフィス・ドキュメント、ボイスメール(Voice)、ウェブアクセス履歴(Chrome / Analytics)、医療情報(Health)、決済情報(Checkout)など、多種多用な個人の活動データだけでなく、携帯電話プラットフォーム(Android)や、人間関係のプラットフォーム(Open Social)の活用にも積極的である。これからGoogleは、こうした潤沢なデータを解析してライフログ・サービスを生み出していくことができるだろう。同様にアマゾンのような大手通販サイトや、携帯電話のキャリアも、解析に使える様々なデータを持っている。しかし他の企業はどうすればいいのだろうか。
ビジネスの話だけではない。データが手元にないのは大学や研究所も同じである。このままではライフログの研究は、データを持つ一部の企業と、そういった企業と連携した人達だけが行えるということになってしまう。実際すでに情報検索分野の国際学会では、Googleやマイクロソフトの支援がない研究論文は採択されにくくなっている。
インターネットが流行したのは明らかに、誰でもHTMLやCGIやJavaScriptを書いて研究し、ビジネスを作り、研究することができたからだった。ライフログにおいても、誰でも使えるデータ集や分析プラットフォームを整備するなど、研究・ビジネスの両面で環境を作っていく必要がある。
ライフログの課題:利用者の喜ぶアプリケーションはなに?
もうひとつはより根本的な問題で、利用者にとってライフログの効用が見えてこないという点である。先にGoogleやアマゾンはもう十分にライフログ的であると書いたが、その効果は主にパーソナライズド広告の精度向上に留まっている。そのおかげで彼らは莫大な収益を上げているものの、利用者にとっては自分たちのデータを取られ、広告を見せられているだけという言い方もできる。もちろんそうした広告の中で本当に探していた情報を見つけることもあるが、そこで利用者はライフログに感謝するだろうか。たぶん、また乗せられて買い物をしてしまった、と思うだけである。
これから様々なデータを収集し分析することで、広告以外についても幅広く利用者にとって適切な情報を提供することは出来るようになるかもしれない。たとえば健康診断、学習のアドバイス、旅行プランの提案などなど。しかし、あなたが健康診断に行ったとして、医者が「あなたの行動を毎日監視して気付きましたが……」とアドバイスをしたら、その内容が的確であったとして嬉しいだろうか。たぶん気持ち悪いはずだ。しかし、そうしたブラックボックスのサービスは現状とても多い。アドバイスの正確さを求めるあまり、その形式、見せ方がおろそかになっているのである。
そもそもライフログは利用者の情報、プライバシを扱う以上、かならず利用者にとって良かったと思えるようなものでなければいけない。さもなければ、いつか「勝手に自分たちのプライバシを使うのはやめろ」という反発が生まれ、ライフログ全体に対する不信感、嫌悪感と立ち向かわなければいけなくなる。Web 2.0ブームはブログやSNSに興味のない人にはほぼ関係のない話であったが、個人情報の利用というのはインターネットの利用者、携帯電話の利用者すべてが関わる問題である。そのため広く説明責任を果たしておかなければ、ライフログのない時代は平和で良かった、などと言われかねない。そうなってしまってからでは遅い。
幸い、利用者にとってプライバシが全てではない。たとえば筆者らが行ったアンケート調査では、携帯電話のナビゲーション・サービスについて、17.0%が「無料になり、広告がなくなるのであれば自分の位置情報を提供してもいい」と考えており、19.4%が「無料、かつサービス改善のためにのみ位置情報が使われるのであれば位置情報を提供してもいい」と考えていることが分かっている。プライバシ保護が強く訴えられる昨今だが、一方でサービスが安くなる、サービスが便利になるといった明確なメリットがあれば、利用者は納得してプライバシを提供してくれることを見逃してはいけない。
残念ながら、現状ではライフログに関連する多くのサービスが、個人情報の収集・解析・利用の方法を利用者に正しく説明していない。あれこれの利用規約と「承諾する」のボタンがあるだけである。提供するサービスが、収集する個人情報に比べて明らかに利用者へメリットがあるならば、ブラックボックス化せずに堂々とその中身を説明すべきではないだろうか。また、利用者の依頼に応じて収集した個人情報を削除する機能もちゃんと設けるべきではないだろうか。クリエイティブ・コモンズが著作権の利用に対して行ったように、個人情報の利用についてもなんらかの類型を設けてアイコンで表示する方法も考えらえる。
誰もが納得するライフログへ
以上の二つの課題は言い換えてみれば、広く開発・研究者が参加できる環境にするということと、広く利用者が納得できる環境にするということである。ライフログという土俵を、多様な開発者と利用者が納得して参加できる透明で民主的な場にしようということである。こうした取り組みはすでに動き出しており、経済産業省ではパーソナル情報研究会が、総務省では通信プラットフォーム研究会がそれぞれ開催され、いずれもライフログに関わる情報の管理が課題であることが示されている。
率直に言って、ライフログという言葉自体がどれだけのブームになるかは分からない。しかし前述したライフログの意味するところ、つまりプライバシに関する情報をどのように収集・解析・利用していくかという問題は、現状ではまだ曖昧に解決されている。そして間違いなく、今後は避けて通れない問題である。利用者の知らないところで個人のデータがやりとりされるのではなく、利用者がちゃんと理解し、納得した上で様々なライフログ・サービスを利用できる日が来ることを期待したい。
本文中のリンク・関連リンク:
- ライフログ・サミット 2009
- 日経コミュニケーションとITproの主催
- Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル
- ティム・オライリーによるWeb 2.0の解説
- 位置情報サービスの利用意向調査結果
- 弊社とNTTレゾナントによる共同調査
- クリエイティブ・コモンズ
- 著作物を共有するモデルパターンを提案
- パーソナル情報研究会
- 経済産業省の取り組み
- 通信プラットフォーム研究会
- 総務省の取り組み