実世界行動予測の展望と課題

人間の行動を予測することによって、ユーザの行動をタイムリーにサポートしたり、それによりトラブルや危険を事前に察知するという研究が進められている。「人間の行動を予測する」というと、かなり野心的な研究分野のようにも思えるが、シーンを限定していけば行動の選択肢も限られるので、必ずしも人間の自由意思による行動を予測する、というような困難さがあるわけではない。たとえば、身近なところでは、漢字変換や検索キーワードを入力する際の入力補完機能がある。検索エンジンでのキーワード入力の際に、組み合わせるべきキーワードを提示するインタフェースはすでに一般的になっている。携帯電話での漢字変換インタフェースは最もなじみがあるところだろう。すなわち、人間が次に何を入力するかを予測し、提示する機能である。入力補完機能は(時として鬱陶しいこともあるが…)大変便利な機能である。人間の行動予測というと、なにやら大それた構想のようにも思えるが、応用レベルではこのような身近なところから想定してみるのが良い。

行動を予測する方法

一般に、行動を予測するための実現手段は、以下の3つに分類することができる。

  1. 行動パタンの辞書に基づく方法
    行動のパタンを記述した辞書をあらかじめ用意しておき、これに基づいて次の行動を提示する仕組み。たとえば、携帯電話の漢字変換では、ユーザが入力した文字に対して、単語辞書を検索して候補を提示する。このためにはユーザの直前までの行動に対して、提示すべき候補がツリー構造としてあらかじめ整備されていることが必要である。
  2. ユーザの過去の行動履歴に基づく方法
    ユーザの過去の行動パタンから、次の行動を予測する方法。たとえば、ユーザが良く使う単語や、過去に使用したコマンドやアプリケーションは再度使われる可能性が高い。使えば使うほどユーザの意図が反映されやすくなるが、新しいパタンや履歴がない場合には対処できない。一般的な日本語入力フロントエンドでは、上記の辞書方式と過去の入力履歴に基づく方式を併用しているケースが多い。
  3. 多くのユーザの行動履歴に基づく方法
    不特定多数の、または類似した多数のユーザの行動履歴を蓄積しておき、ここから抽出される行動パタンに基づいて次の行動を予測する仕組み。
    google
    の検索キーワード補完は、過去に検索されたキーワードの組み合わせから頻度の高いものを提示するものである。多量のデータから推測する必要があるために、データ収集の仕組みが必要である。

実際には、これらのハイブリッド型によるケースが多いが、一般に行動が事前に定型化できるものについては、1.の方法が、一方、行動パタンが事前に定型化できないものについては、1.の方法に加えて、データから推測する方法、すなわち2.や
3. の方法が用いられることが多い。端的にいえば、1.から3.にいくに従って行動予測は難しくなる。

リアルワールドでの行動予測

行動予測をバーチャルな世界からリアルな世界に拡張する場合には、カメラや位置情報、環境センサや動体センサなど、ユーザの事前の行動を把握するための仕組みや、行動の候補やサジェッションを提示するための仕組みが必要になるが、予測するための方法自体は同様のアナロジーで考えることができる。

たとえば、あらかじめ定められた行動辞書を持っていればユーザの行動をナビゲートすることは比較的容易である。通常決められた手順のフローが存在する建設現場や工場等での工程管理、博物館やイベント会場など、連続的な行動が仮定できるケースではこうした行動辞書に基づくナビゲーションは有用であり、十分に実用レベルの段階であるといえる。

また、もう少し行動のオプションが拡がって、行動辞書を構成することが困難なケースでは、ユーザの過去の行動履歴からユーザの行動をナビゲートすることが考えられる。いつも仕事の後に買い物をする人であれば、ロケーションに応じたショッピングのガイダンスを提示することもできるだろう。過去に購入した商品に内容的に近いものをリコメンドすることもできる。
NTTドコモなどが開発中の 「マイ・ライフ・アシスト」
サービスはこうした機能の実現を目指している。個人の履歴に基づく方法では、習慣化された行動手順をサポートするのに向いている。

一方、習慣化されていないさらに複雑な行動を予測する際には、多くのユーザの過去のデータから行動パタンをモデル化する方法が必要である。
MITのメディアラボでは、こうした行動履歴の蓄積から、ユーザの行動モデルを抽出するアプローチを リアリティマイニングと呼んでいる。行動履歴データ(行動やコミュニケーションの履歴)を携帯電話を介して蓄積し、人間行動のパタンを発見しようとする野心的な試みである。もう少し目的志向の予測を行うものとしては、産業技術総合研究所で進める
人を見守るデジタルヒューマンがある。大量の行動履歴データを蓄積することにより、高齢者や乳幼児の事故を防止しようという応用が検討されている。

実世界行動予測はクリティカルな応用から

実世界での行動予測についても、データの収集方法や提示方法を除けば、基本的にはバーチャルな世界での行動予測と同じである。しかしバーチャルな世界での行動履歴は圧倒的なボリュームの蓄積データが活用できるのに対して、実世界での行動履歴はほとんど蓄積が進んでいない。人間活動の複雑な行動パタンを抽出するためには、大量の行動を蓄積したデータベースの整備が必要であり、前述のリアリティマイニングプロジェクトでもデータ蓄積が行われてはいるものの、統計的な解析が可能になるレベルでの蓄積はまだ十分ではない。実用的な観点でいえば、医療や健康管理、作業現場での事故防止、オフィス内でのセキュリティ管理など、目的がクリティカルなものへの応用を通じて、データを蓄積していくことが必要である。

ところで、冒頭の入力補完機能については、大きなお世話と感じることもある。同様に、行動のリコメンデーションについても、疲れているから早く家に帰りたいのに、ショッピングやレストランの案内を次々にもらっても鬱陶しいだけであろう。この「大きなお世話」問題は、ユーザの状況を常に監視されることへの不安と相俟って、実世界行動予測へのニーズ喚起の大きな障壁となっているようにも思える。ユーザ自らが機能を選択できるという安心感と、使ってうれしい機能の実現が待たれるところである。