仮想の柵(Virtual Fencing)が築く安全性

仮想の柵(Virtual
Fencing)という言葉がある。この言葉は無線技術を駆使して放牧中の家畜に仮想的な柵の存在を感じさせることを指し、昨今のIT業界におけるキーワードである「仮想化」とはまた別のITに関係する話である。
この柵は最近になって米国ニューメキシコ州で家畜の牛に対して実験的に適用されて話題になっているが、原理自体は決して新しくはなく1970年代から存在していた。
本稿では仮想の柵と安全性との関係をその仕組みを踏まえて考えてみたい。

Ear-a-round – 仮想の柵の仕組みと動物心理学

米国の放牧場は実験の行われている牧場のみならず一般に広大である。
しかもその広い放牧場で柵を設置するには1kmあたり$20,000の設置費用と保守費用が掛かるという。 保守費用には動物や倒木の影響による損傷の修繕も含まれている。
このコストを削減することが、仮想の柵のモチベーションだ。仕組みとしては直感的で、別名Ear-a-roundの通り、耳元に置かれた小さなハコから
GPSとトランシーバーなどを使って音か電気ショックを伝えることができ、放牧の領域を越えたことをGPSにより感知すると刺激を伝える。
その結果、牛たちは指定されたエリアの内側に留まる。これが仮想の柵の仕組みである。
将来的にはハコの小型化と一頭当たりのコストの低減を見込んでいる。現在$600の製造コストを$100に抑え、さらに群れのリーダー格のみに付けることによるコスト低減も計画されている

Ear-a-roundに受け継がれている、動物に直接的に刺激を与えることで動作を制御する原理は、伝奇小説「西遊記」の中で三蔵法師が孫悟空を締め付ける頭の輪に似たネガティブなイメー
ジを持ってしまう。実際、そのイメージに近い直接的な方式は過去に十分な成功を収めてはいない。しかしながら、現在実験中の仕組みはグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」方式とも言うべきもので、牛追いの歌などを聞かせて操作する「潜在的な意識に呼びかけて行動を起こさせる」仕組みである。

Ear-a-roundから流れる牛追いの歌そのものが本当に牛に影響を与えているかどうかの科学的論拠などは未だ弱いものの、こうした牛の心を掴むための動物心理学研究の成熟と共に仮想の柵はまだまだ進化していくだろう。

Urban Fencing – 牧草地から都市へ?

ここで、仮想の柵の本来用途である牧草地での普及は今後の経過を見守るとして、牧草地以外での利用シナリオについて考えてみたい。
仮に、ハコの小型化と低コスト化が十分に進んだとすれば都市部でも使われるだろうか。
どうしても孫悟空の頭の輪というネガティブな印象が先行し、人やペットなどへの利用には不安感と抵抗感がつきまとうに違いない。
「潜在的な意識に呼びかけて行動を起こさせる」仕組みと言われると、催眠効果やサブリミナル効果を想起し、得体の知れぬ不安を感じる。
やはり、牧草地を離れ、都市部で人やペットに対し仮想の柵を直接使うシナリオは難しい。

しかし、間接的に人が仮想の柵に囲まれる状況は遠からずあるだろう。
つまり、人にとって仮想的な柵のあったほうが良いと認められる場合だが、これには例えば車に乗っている時のナビゲーションが挙げられる。
車車間通信による衝突事故防止システムなどは将来性が見込まれており、車線変更やバック時の衝突回避はいわば仮想の柵を築くことを手段としている。
実際、この2,3年で自動車メーカー各社による「自動操舵」「自動駐車」の特許やプレス発表を目にすることが増えている。
今のところ人の一番近くに築かれうる仮想の柵は自動車が対象かもしれない。
雨による視界不良など五感の機能が低下させられる際の支援も想定しており、この場合仮想の柵は間違いなく人にとって安全性と利便性をもたらす。

仮想の柵が築く安全への意識

仮想的な柵は、人の近くに築かれうる存在になってきている。
これは、情報技術の利活用の深化と仮想の柵を実現する要素技術の進化による。
やがて動物心理学の研究や人の心理学の研究の結果、人の「潜在的な意識に呼びかけて行動を起こさせる」ことに有効な刺激や音が判明するかもしれない。
それにより、例えば、あらぬ方向にタクシーに乗って移動するとふと家や会社に帰りたくなる刺激が知らぬ間に与えられる、トレーニング中にルームランナーやエアロバイクから降りようとすることを思いとどまらされる、といったことが技術的には実現できるようにるかもしれない。

このようなシナリオも含め、仮想の柵を使いこなすためには、仮想の柵のセキュリティ、言い換えると組み込みソフトウェアのセキュリティが今まで以上に問われることになるだろう。
仮想の柵の高度化に伴い、ソフトウェアのバグを衝いて「潜在的な意識に呼びかけて行動を起こさせる」攻撃が理論上は起こりうることになる。
その時には、仮想の柵は一般消費者が食の安全と同じ次元でソフトウェアの安全を見るように仕向ける柵としても機能することになっているだろう。