SIの中の人

Windowsの中の人

「闘うプログラマー」というドキュメンタリー本がある。デヴィッド・カトラーというマイクロソフトで働くカリスマ・プログラマーが主人公だ。彼のミッションはOS「Windows
NT」を開発し、製品化すること。すさまじい才能と個性の持ち主であるカトラーは、彼と同じように才能も個性もある部下たちと共に、開発中に出喰わす幾多の困難を乗り越えていく。十年以上前の本だが、今でも文句なく面白い。

カトラーと仲間たちが開発した「Windows NT」は無事製品化され、その後いろいろあって「Windows
XP」となり、その後継が最新の「Windows
Vista」である。つまり今、私達が使っているWindowsのどこかには、カトラーたちが奮闘した跡が残っているはずだ。そのせいか、私はこの本を読んで以降、Windowsがとつぜんクラッシュすることがあってもあんまりイライラしなくなった。なにしろ本にある通り「Windows
NT」の開発は問題山積みで、一時は製品化も危ぶまれていたのだ。そう考えると見事に普及した今、ちょっとクラッシュするくらい仕方ないじゃないか、と思うわけである。私はすっかり「Windowsの中の人」カトラーに魅了されてしまったのだ。

中の人をアピールする

書店には「闘うプログラマー」に限らず、様々な製品やサービスの開発エピソード本が並んでいる。また、インターネットのニュースサイトにも、携帯電話やパソコン、カメラなどの新製品が出るたび、開発者インタビューが掲載されている。最近は社長ブログ、社員ブログ、新製品情報ブログなども一般的になった。いずれにせよ「中の人」をアピールすることで、企業や製品やサービスに共感を集めようという試みは、広告手法としてすっかり定着したようだ。そうした本や記事、ブログのおかげで企業や製品の特徴、開発の苦労が分かるのは、もちろん面白い。しかし同時に、企業によってどのような開発体制をとっているのか、考え方としてデザインありきなのか機能ありきなのか、何歳くらいの人がどれくらいの権限を持って指揮しているのかなどなど、普段知ることのできない企業や業界の雰囲気を垣間見ることができるのも興味深い点である。

せっかくなので、そうした「中の人」のアピールで特に面白いなと思った事例を幾つか挙げてみる。まず真っ先に紹介したいのは任天堂である。任天堂は一昨年、新しいゲーム機Wiiを発売したが、その直前に社長が訊く
Wiiプロジェクト
という記事を公開している。Wiiはリモコン型のコントローラ、体感センサの搭載、インターネットを利用した情報配信サービスなど、同社のこれまでのゲーム機とはコンセプトが大きく異なるものだった。そのため、斬新ではあっても「一体これでどういうゲームができるのか」「どのように楽しめばいいのか」分かりづらいところもあった。しかし、この記事は同社の岩田社長自ら、Wiiに関わった大勢の開発者にインタビューし、開発の過程を明らかにすることで、そうした疑問を払拭し、どのようなゲームを作りたいのかというメッセージを伝えることに成功している。そして同時に、任天堂という企業の魅力をも伝えている。

もう一つの事例として挙げたいのは、ブログやソージャルブックマーク事業で有名なはてなである。はてなではなぜか新しい人が採用されるたび、本人が同社のブログで「はてなに入社しました」と逐一報告し、読者がブックマークで祝福する、という流れが確立している。誰がどのサービスを担当しているかといった情報も公開されており、退職も同様にブログで報告されることが多いので、「○○さんが入社したので〜サービスが刷新されるんじゃないか」とか「○○さんが退社したので〜サービスはどうなるんだ」とかいった話題が尽きない。多くのベンチャー企業がまず知名度向上を目指す中で、理想的な状況にあると言える。

もっと尖った事例としては、アルカーナというベンチャー企業が有名ブロガーを社員に採用した際、プレスリリースを出したら、それだけでニュースになってしまったというものがある。一般の企業では考えられないような展開である。しかし今日、社員のプレゼンス向上を課題に挙げる企業はとても多い。そう考えると、なんらかの形で採用/入社時点から「中の人」の情報を公開していくというのは、理に適ったアピール方法と言えるのではないだろうか。

SIの中の人はどこへ

さて、もう三ヶ月ほど前の話だが、IPAX2008というイベントで、IT産業の経営者と学生の討論会が行われた。私も現場にいたが、痛感したのは、とにかくSI産業のことが学生には伝わっていないということだった。学生たちはGoogleのことは知っている。普段から使っているからだ。ITベンチャーのことも知っている。テレビや雑誌で見かけることも少なくないし、学生のうちからITベンチャーに関わる人も少ないからだ。しかし、SI産業についてはほとんど情報が伝わっていない。まず、どういう人がいるのか分からない。そして、具体的に何を作っているか分からない。結果、どういう仕事なのか分からないし、どういうキャリアパスがあるのかも分からないという具合である。これはつまり「中の人」が見えない、ということである。

こうした状況の背景には、SI産業ではクライアントの名前を公開しないのが一般的であるため、中の人は「なにをしているか」外に伝えることができない、という問題がある。例えばSI産業に従事するブロガーは沢山いるはずだが、彼らはITベンチャーのブロガーのように仕事の内容を語ることができないので、「仕事がしんどい」というような当たり障りのないことしか言えない。開発が無事終了し、大勢の人が利用することになっても、誰が何を開発したか、示されることはほとんどない。不祥事が起きた時だけ「某システムを開発したのは某社」という情報が広まるのも皮肉なことである。

もしかするとSI業界は、内部統制の名の下、仕事の面白みを外部に伝えるということまで規制してしまったのではないだろうか。あるいは設計者、開発者として裏方に徹するあまり、一般の人たちへのアピールを忘れてしまったのではないだろうか。クライアントの意向も重要だが、設計や開発のエピソードなどをもっとアピールしてもいいはずだ。あるいは開発した各システムに「designed
by
○○」といったクレジットを記載する気概があってもいいのではないだろうか。そうやって「中の人」の透明性が高まれば、SI産業への誤解も解けていくはずである。そしていつかカトラーのようなカリスマが現れて、私達を魅了してくれるかもしれない。