人間対コンピュータ
1997年、IBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が当時のチェス世界王者であるガルリ・カスパロフを破った。これは「人間対コンピュータ」の歴史において、今後も長く語り続けられるであろう大事件であった。この事件を機に、コンピュータはどこまで成長するのか、人間がやっているような頭脳労働は全てコンピュータが取ってかわってしまうのではないか、というような議論がずいぶん活発になった記憶がある。その一方、チェスでは負けたけど将棋や囲碁でコンピュータが人間を脅かすにはあと百年かかる、人間にはできてコンピュータにはできないことがたくさんある、コンピュータ脅威論はナンセンスだ、というような話もあった。
あれから十年経った2007年、今度はBonanzaという将棋ソフトが渡辺明竜王と対局するという、また別の「人間対コンピュータ」イベントがあった。人間にとっては幸いと言うべきか、結果は竜王の勝利に終わった。しかしBonanzaは使われたコンピュータがスパコンから程遠い普通のパソコンだったこと、そして何よりコンピュータらしからぬ自然な戦いぶりを繰り広げたことで、ずいぶんと好事家の話題を集めた。既にBonanzaはアマチュア六段クラスの強さを誇ると言われている。アマチュアの最高位である八段や七段が特例授与であることを考えると、これはアマチュアでは最強クラスということになる。確かにトップクラスのプロに勝つのはもう少し時間がかかるのかもしれない。しかしごく一部の人間だけがコンピュータに勝てるような現状を「人間の勝利」と言っていいものだろうか?
脆弱性になった人間
こうしたチェスや将棋は「人間対コンピュータ」の舞台としては派手だが、もっと地味で、しかし深刻な戦いは今日あちこちで行われている。例えば、偽札がそうだ。
日本の紙幣における偽造防止技術はたいへん先進的だと言われている。おもちゃのように粗雑な海外紙幣を手にして、日本の紙幣はよくできているんだなあと振り返ることも多いのではないだろうか。しかし、では日本から偽札がなくなったかというと、残念ながらまだまだである。それも、昔は自販機から偽札が見つかったというようなニュースをよく耳にしたが、昨今はコンビニや縁日の露天で偽札が使われたというニュースばかりで、自販機やATMで偽札が使われたというニュースはほとんど聞かない。これはつまり、高度な紙幣の偽造防止技術があって、自販機やATMなどで使われているコンピュータはその技術を応用した偽札判定が可能なのに、肝心の人間の目が偽札かどうか判定できていないというわけである。かつては、自販機などのコンピュータを人間並に偽札が判断できるようにするのが課題だった。しかしコンピュータによる偽造防止技術が進化し続けた結果、今度は脆弱性として人間の目が残ってしまったのである。
スパムを操るコンピュータ
偽札以上に今日もっとも深刻な「人間対コンピュータ」の舞台は、おそらくスパム問題だろう。スパムは1994年に誕生したと言われている。そして以来、古くはニュースグループ、電子メールは言うに及ばず、今日ではブログやWikiまで、スパムがあちこちを荒らし回っている。中でもスパムだけで構成されたブログはスプログと呼ばれ、ここ一年ほどで急増した印象がある。検索エンジンを使っていたら、全く意味を成さない文章の羅列に出食わした経験のある方も多いのではないだろうか。あれがスプログで、検索エンジンの質を著しく低下させている。
今日のスパムはほぼコンピュータによって自動化されている。よってスパムを防ぐには、それが人間が書いたものであるのか、コンピュータによって自動生成されたものであるのかを見分ける必要がある。そのためスパムメール対策であればブラックリストやベイジアンフィルタなど、様々な手法が提案されてきた。しかし著者はつい先日も重要なメールがスパム扱いされて見逃すという苦い経験をした。これではスパムに負けたと認めざるを得ない。
言うまでもなく人間とコンピュータはだいぶ違う。しかし、両者を判断するのは難しい。例えばCAPTCHAは昨今よく用いられる、人間かコンピュータかを判断する手法である。ウェブサービスにユーザ登録する時など、奇妙に歪んだアルファベットを読みとって入力させられることがあるが、あれがCAPTCHAの一種だ。ウェブサービス側としては、人間には使って欲しいものの、スパムを撒き散らすような輩は排除したい。そして、そういう輩はだいたいコンピュータでユーザ登録を自動化させ、無数のユーザアカウントを作成しようとする。そこでCAPTCHAを使い、歪んだアルファベットを読み取れない自動化されたコンピュータをシャットアウトし、読み取れる人間だけを会員として登録する。これが理想像である。現実は、多くのCAPTCHAがコンピュータの認識技術により解読されている。そしてコンピュータが読み取れないくらい歪ませた文字は、しばしば人間でも判断できないのである。
人間らしさとはなにか
「人間対コンピュータ」を考えると、最後は「人間らしさとはなにか」という哲学的問題に落ち着く。人間なら分かる/できることで、コンピュータなら分からない/できないことを見つけ出さなければならないからである。ベイジアンフィルタは「スパムは一部の偏った単語を使うが、人間は様々な単語を使う」、CAPTCHAは「コンピュータは歪んだアルファベットが読めないが、人間は読める」という、人間らしさの仮定を立てていた。私たちは今後、こうした仮定をさらに模索していかなければならないだろう。もしその仮定が証明すれば、偽札問題を解決するような、スパムを一掃するような、画期的な手法が次々と生まれるだろう。
一方、もしその仮定が成り立たないままであれば、コンピュータが高速化するに従って、ますますこうした問題は顕在化していくだろう。そしてそれは、チェスで負けるよりもずっと大きな敗北なのである。
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