2008年になった。
Wikipediaによると、2008年は「ドラえもん」の「タイムマシン」が発明される年ということである。ちなみにドラえもんそのものが誕生するのは2112年。なぜタイムマシンがこれほど早く発明されてしまうのかは分からないが、もちろん全てはマンガの話であって、残念ながら「タイムふろしき」さえ発明されていないというのが現状である。昨年は賞味期限を未来へタイムワープさせる手法があちこちで話題になったが、そうした人達も今ごろ過去をやりなおしたいと思っているのではないだろうか。
学習机の引き出しから恐竜時代へ旅行に行くのはまだまだ先の話になりそうだが、現実にはドラえもんよりずっと未来を先取りしている部分もある。その一つは、やはりインターネットだろう。それとも筆者が知らないだけで、最近放映されているドラえもんでは、ジャイアンがみんなを携帯メールで呼び出したり、スネ夫が高速無線LANを自慢したりするのだろうか?ともあれ、今回はタイムマシンなき時代のタイムマシンとして、インターネットを有効利用する方法をご紹介したい。
人のタイムマシン
アメリカでブログが注目を集める契機となったのが9/11、つまり2001年頃と言われている。一方、日本で「ブログ草創期」騒動があったのが2002年なので、大雑把に言ってその少しあと、2003年くらいにはブログなるものが世間から十分に注目を集めていたと言える。そして、その頃からブログが書き続けていると、今ではだいたい五年分の蓄積があるということになる。
五年というのは、人が変わるのに十分な時間である。政治や社会について書いたブログであっても、長い時間の間に徐々にそのスタンスを変えた人は少なくない。また、五年前のブログを読めば、人々の常識というものがどれだけ変化しているかに気付く。1981年にビル・ゲイツが「パソコンのメモリは640KBもあれば十分だろう」と言ったとか言わなかったとかいうジョークがあるが、文章を書いて公開する限り、ブロガーも同じような間違いを犯す可能性がある。ご自身のブログをお持ちの方は古い記事を読み直してみると、自身や常識の変化にぎょっとしてみると面白いはずである。
ぎょっとする可能性があるのは自分自身だけではない。哲学者や政治家は昔からその言動が注目され、変遷を批評されてきたが、今日ではブロガーも同様に俎上に載せられ、批評されるのである。それらしいことを言っているブロガーがいたとしても、古い記事で全く反対のことを言っているようでは台無しなのだ。既に著名ブロガーの最初の記事をまとめたものもあり、こうしたブログ考古学は今後ますます盛んになっていくだろう。中高生がブログを書くなんてことはもはや珍しくないが、近い将来には昔書いたブログの痕跡を跡形もなく消してくれるサービスなんてものが出て来るのだろう。
一方で先日、Slashdotに「転職活動中に面接官から、君の名前をGoogleで検索して、実績を調べてもいいかね、と言われた」という話が掲載された。人の活動がますますオンラインに蓄積される今日では、インターネットというタイムマシンを通して人の過去が評価される機会もますます増えていくのである。就職のためにブログを書いておいたり、オープンソースの開発に参加しておくということが、今後は当たり前になっていくかもしれない。
数字のタイムマシン
人より変化が早いのが数字である。内閣支持率、日経平均株価、タレントの高感度ランキングといった数字は常に上下している。仕事柄、さまざまな統計情報と向き合うことがあるが、中でも古い統計にある「予測値」に首を傾げたくなることは少なくない。例えば私の知る限り、2007年の経済予測は大小の差はあれ、景気拡大一辺倒だった。現実はサブプライム問題などあって、日経平均株価は2007年初より2007年末の方が2000円も安くなっている。
ネットニュースからは、アナリストたちによる2008年の経済予測も聞こえてきている。信用するかどうかの判断には、前述した「人のタイムマシン」が利用できる。つまりにアナリストの名前で検索して、去年はどう言っていたかを調べるのである。また、外れがちな予測値を有効利用する方法もある。例えば来年に急拡大すると予測されている市場があったとき、去年の統計でも「来年には急拡大」とあったら、すこし眉に唾をつけてみたほうが良いかもしれないということである。
検索エンジンの普及により、古い統計が人の目に触れやすくなった今日、予測値を算出するのは簡単ではない。重圧のもと、結果的にこれからは、統計や予測の質が上がっていくことを期待したい。
事実のタイムマシン
数字より変化が早いのが事実である。この格好の例がWikipediaだ。話題になることはあまりないが、Wikipediaの変更は全て履歴として残っており、簡単に見ることができる。見ると一つ一つの項目が、驚くほどのスピードで追記され、削除され、書き換えられていることが分かるだろう。
例えば、流行語大賞を獲得した「小島よしお」の項目を見ると、 一番古い版は2006年の8月に書かれ、 同日すぐに削除予定になっている。その後しばらく変化はないが、2007の3月の版で内容が充実し、5月以降は絶え間ない更新が続いている。おそらく、ちょうどこの頃にブレイクを果たしたのだろう。Googleで検索される語句からトレンドを見るGoogle Trendsというサービスがあるが、Wikipediaの更新からもトレンドが見てとれるかもしれない。
「小島よしお」は無難な例である。しかし政治家や芸術家の項目、事件や国際問題の項目の履歴を追うと、時間と共にどのように事実形成が成されているかをつぶさに見ることができて、中々興味深い。例えば不祥事を起こした途端、不祥事そのもの以外についても全てネガティブな記述になってしまった有名人や企業の例はたくさん見つけることができる。
Wikipediaは、一人の手で簡単に書き換えられるため、最新版だからといって正確とは限らない。そのため、最近ではWikipediaの正確性がやり玉に挙げられることも少なくない。しかし、なにが中立的な事実かという合意を得るのはたいへん難しいので、多くの項目で中立性や正確性が議論になっているのは、ある意味では当然のことといえる。 中でも私が特に気に入っている議論は、トラはゾウを獲物にするかという論争とライオンはキリンを獲物にするかという論争である。他にも政治や宗教の分野では果てしない議論が続いているが、案外将来になって振り返ってみると、こうした議論こそが当時の状況を示す重要な文献として取り挙げられるのかもしれない。
未来に向けて
こうして考えると、ブログにせよ、統計情報にせよ、Wikipediaにせよ、インターネットにコンテンツを生み出し続けることで、私達は未来のためのタイムマシンを作り続けていると言える。書誌学や新聞史の研究があるように、将来にはインターネットの考古学が生まれるだろう。これからもインターネットはどんどん変化し続けるだろうが、将来、本当のタイムマシンが出来た時に、2008年に戻ってみたいと思えるようなサービスやコンテンツに出会えれば嬉しい。
それでは、本年もよろしくお願いします。
本文中のリンク・関連リンク:
- Wikipedia
-
- 中立的観点に議論のある項目
- 正確性に疑問がある項目
- 議論になっている項目。
- Wikiquote
- 著名人の発言集。