「初音ミク」というDTM (DeskTop Music, PC上での楽曲制作)ソフトウェアが売れている。8月末の発売から約1ヶ月で1万本という販売数はこの分野では異例の大ヒットである。
DTMの衰退
インターネットが普及する前は家庭でのPCの用途として「楽曲制作」も一定の割合を占めていたように思う。10万円近くするMIDI音源のシンセサイザや昔ながらのテレビゲーム機のようなFM音源を使って、作曲したり演奏させたりしていた人も多いことだろう。私も楽譜をPCに打ち込み、FM音源で鳴らして楽しんでいたこともあった。
しかし、ふと気づいてみるとDTMという分野はインターネットや電子メール等に押されて目立たなくなっていた。インターネットを使えば音楽も安価に好きな曲を購入できるし、さらにそれをiPod等を使って外出先で聞くこともできる。オリジナル曲の作曲が趣味である人を除けば、わざわざDTMをやろうという気が起こらないのも無理はない。
「初音ミク」の登場
そこに登場したのが「初音ミク」である。このソフトを使えば、自分が作詞・作曲した曲を有名な声優の声で歌わせることができるのだ。このソフトの技術的なポイントは人間の声で自在に歌わせられることである。楽器の音はコンピュータでもMIDI音源を使えば再現できていたが、人間の歌声は合成できなかった。これを可能にしたのがヤマハの開発したVOCALOIDという技術である。
実は「初音ミク」登場以前からVOCALOIDを用いたソフトは販売されていたが、販売数は芳しくなかったそうだ。マーケティング的には、従来のDTMユーザとは異なるユーザ層を対象とし、有名な声優の起用や「初音ミク」というネーミングといった製品コンセプトがポイントだったといえよう。さらに、「ニコニコ動画」という自由にコメントが追加できる動画共有サイト上で人々が協力し、次々に新しい優れた作品が出てきている。消費者が自ら内容を作っていくCGM (Consumer Generated Media)という時流に乗ったこともブームに拍車をかけているのである。
しかし、このようなマーケティング的な要素は「初音ミク」を世に広げるのに役立ったものの、ヒットそのものは「歌声も楽器のように自在に操れる」という基本的な技術がなければ生まれなかっただろう。曲は作りたいが歌は自信がない、きれいな声、異性の歌声で歌わせたい、というような潜在的な欲求は大きかったに違いない。「初音ミク」は徐々に年長者へと広がっているそうである。これはそもそも歌声に対するニーズがあったことの表れであろう。
コンテンツ制作の裾野の拡大に期待
「初音ミク」でインターネットを検索すると、「メディアは『おたく用のソフト』として馬鹿にしている」といった批判から、「『ニコニコ動画』上で多くの人が協力してどんどんよいものができている」というプラスの評価まで多くの情報がヒットする。アニメキャラクタ、声優、一風変わった新しいインターネットのサービス、という言葉面だけを見ると、マイナスイメージを持つ気持ちもわからなくはないが、コンテンツ制作を活発化させたという現状は素直に評価すべきである。
折しも政府も日本の将来を担う重要な産業のひとつとしてデジタルコンテンツを掲げている。漫画やアニメのキャラクタはすでに世界的に評価が高いが、「初音ミク」のようなソフトの普及は音楽面の強化に一役買うに違いない。また、「ニコニコ動画」のようなサービスもキャラクタ、音楽、シナリオ等々のコンテンツの材料を結びつける場として活用できそうである。「初音ミク」に始まったDTMブームは一過性のものではなく、デジタルコンテンツ制作の裾野を広げるのに大きな役割を果たすだろう。
現時点では「初音ミク」に対する評価は定まっていないが、「歌声」には間違いなく大きな将来性があるだろう。ただし、「初音ミク」や類似のシリーズ製品に頼っていてはユーザ層に限りがある。今後はより幅広い層をターゲットに「楽曲制作ソフトとしての魅力を高めた製品の提供」を望みたい。たとえば、老若男女の声や、ポップス、ロック、オペラの声など、さまざまな歌声を収録すれば、小中学校の音楽の授業はもちろん、専門の音楽教育でも活用できるだろう。弦楽器の伴奏をコーラスに変えてみたり、オペラ歌手とロック歌手がコラボレーションしたり、といった現実にはなかなか実現できないことも簡単にできる。さらにネット上で見ず知らずの他人ともコラボレーションできるようになれば、これまでにない作品が出てくるに違いない。どんな作品が出てくるか、今から楽しみである。