煽動的なタイトルで恐縮である。
昨年度、(独)情報処理推進機構(IPA)のオープンソースソフトウェア活用基盤整備事業の一環として 『学校教育現場におけるオープンソースソフトウェア活用に向けての実証実験』 が行なわれた。 このプロジェクトをかいつまんで説明すると、 OSS振興施策の一環として子どもたちにLinuxを使ってもらおう、 というものである。 本稿のタイトルは、そのプロジェクトに参加したある中学生のコメントから拝借した。
小中学生からの囲い込み戦略
まず、次のグラフをみてほしい。
このグラフは、プロジェクトに参加した小学校3年生から中学校2年生までの児童・生徒を対象としたアンケート結果から、 今度、Linux PCを学校以外でも使ってみたいか否かを尋ねた結果である。 青い部分は「自宅でもぜひ使ってみたい」と答えた割合、 緑は「機会があれば使ってみたい」、黄色は「学校だけでいい」、 そして赤は「学校のLinuxもWindowsに戻してほしい」と回答した児童・生徒の割合を示している。
この集計結果からは様々なことを読み取ることができるが、ここでは、 学年が上がるにつれてLinuxを積極的に使っていきたいと答えた子どもたちの割合が下がっていることに注目されたい。 その原因としては、
- 学年が上がるにつれてLinux PCの活用方法が拡がり、 新しい環境で複雑なPC利活用を実施しようとして問題が生じることがあったため
- 学年が上がれば上がるほど既存のWindows環境でのPC活用に習熟しており、 慣れないLinuxの操作にとまどいを覚えたため
OSなんて何でもいい、…はずだが、実際は
ところで、初等教育におけるPCを活用した教育の原則として、 教育関係者以外が誤解しがちな点がある。 それは、 「小中学校でのIT利活用教育の目的は、 あくまで科目の内容を効率的に教えることであって、 PCの使い方そのものを教えることが目的ではない」 ということだ。 IT機器を活用して効果的に授業を進めましょう、 ということが大原則で、そのPCが何であろうが本来は構わないはず。
今回のプロジェクト実施中、先生からも理想的なコメントを頂いた。 すなわち「OSなんてWindowsでもLinuxでも何でもいい。 ツールとして活用できればそれでいい」というものだ。
早い話が、必要なアプリケーションさえ動作すれば、 ユーザの触れない下層レイヤは何だってよいのである。 実際、CPUがx86であろうがPowerPCであろうがMIPSだろうが何だろうが、 大多数のユーザは気にしない。それと同じように、 OSだって何だって良いじゃない、という指摘である。
ところが残念ながら現在の肥大化しすぎたOSはUI (User Interface)まで含めた統合的なものとなっているため、 なかなかその理想論だけでは片付けることができない。 理想を現実化するには、 OSカーネルとデスクトップ層(あるいはGUIによるシェル)を明確に分離させ、 ユーザが直接操作するGUI部分に関する標準化が必要となるだろう。 それもOSに依存しない形式という条件付きで。
まだまだ未成熟なPCの操作環境
ユーザとのインタフェースを共通化しようという発想はしごく真っ当なもので、 古くから様々な試みがなされてきた。 例えば多くの派生システムが林立したUnixでは CDE (Common Desktop Environment)という仕様が策定され、 各社のUnixで使われたことがあった。 CDEの発想はいまでは GNOME (GNU Network Object Model Environment)や KDE (K Desktop Environment) に受け継がれている。 ただしいずれもWindowsの操作感に似た操作性を提供しているものの、 全く同じものを目指しているわけではない。
一方でOSSデスクトップを導入しようという現場には、 Windowsと同じように操作できるようにというユーザの要望が根強い。 そこで全く同じものを提供しようとすると、 今度は知的財産権を侵害するという話になる。
このようにUIに関して混乱が見られている状況の原因のひとつには、 PCの操作がまだまだ複雑すぎるという根本的な課題がある。 ソフトウェアの起動ひとつとってみても、様々な起動方法がある。 スタート・メニューから選ぶ、プログラムランチャをクリックする、 デスクトップアイコンをダブルクリックする、 対象データのアイコンをダブルクリックする、 データのアイコンをアプリケーションのアイコンへドラッグ・アンド・ドロップする、 プログラムの起動メニューからコマンド名を入力する、 ターミナルからコマンドを叩く、エトセトラ、エトセトラ。
PCのUIは何処へいく?
さて冒頭で紹介した意見に戻ろう。 デスクトップPCのUIはWindowsふうのルックアンドフィールに収束すべきなのだろうか。 その答えは、今回のプロジェクトに参加した小学校低学年の子どもたちが教えてくれた。 彼らは細かいことを気にしない。LinuxかWindowsかなんて、 ニンテンドーとプレイステーションの違いくらいにしか感じていない。
さてそのように柔軟な頭で考えたとき、OSが持つべきUIの本質とは何だろうか。 「何でもできるは何でも中途半端」といった事実に気が付いたとき、 PCのUIも次のステージに到達するのだろう。