「わかる」サイトのデザインとは

プラトン著

『メノン』(岩波文庫)の一節より。

メノン「いったいあなたは、それが何であるかがあなたに全くわかっていないとしたら、 どうやってそれを探求するつもりか?」

ソクラテス「わかったよ、メノン、君がどんなことを言おうとしているのかが。 君が持ち出した議論が、どのように論争家ごのみの議論であるかということに気づいているかね?」

これはメノンの探求のパラドックスと呼ばれているものである。 私たちはしばしば、システムに蓄積されている情報をユーザ自身で検索、閲覧を繰り返しながら、 ある物事を自律的にWebで調べて学ぶサイトをデザインする機会がある。 このときに、メノンのパラドックスと同じ課題を考える。 すなわち、ユーザ自身が物事を知らないのに正しく情報に行き当たれるのか、 検索条件を指定できるのか。 また、行き当たったページやあがってきた検索結果でよいかどうかをどのように判断するのか、 ということについてである。

この後ソクラテスは、 人間は自分が知っているものも知らないものも探求することはできないと続けている。 すなわち、すでに知っているものは探求しないし、 知らないものは何を探求すべきかということも知らないはずだからということである。 ソクラテスは、この問い自体がナンセンスだと言っているのだろう。

私もこう思う。人は、知っているものが自分と深く関係することを確かめたいし、 知らないことがほとんど自分と関係ないことを確かめたいのではないだろうか。

『「わかる」

ということの意味』(岩波書店)の中で、著者の佐伯胖氏は次のように述べる。

「ただ、私たちが、何かこれまでとは一見異なる新しい経験をするとき、 『これはいったい何だろう』とか、『どう対処したらいいのか』とか、 ともかく『わからない』状況にいったん追いこまれます。 そのときに、あれこれ試みる中で、 『なんだ、これはアノことと結局は同じじゃないか』ということが『わかる』のです。」
学びのWebサイトをデザインするとき、「情報そのものがわかりやすい」ことも大事であるが、 「ユーザ自身の知識や経験とつながりやすい」ことがとても重要だ。 そのつながりが「わかる」ための思考の道となり、探求、そしてわかり得る希望の道になっていく。

いまこのような考え方も取り込みながら、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)政府出展事業での インターネット上の日本政府館「サイバー日本館」 を制作を行なっている。



参照

2005年日本国際博覧会 政府出展事業
「サイバー日本館」