ハイブリッド空間へのアクセス

最近の小学生にとってインターネットはまさに日常的な道具になっているらしい。 わが家の子供やその友だちの様子を聞いてみても、学校の宿題、夏休みの自由研究、 好きな漫画やアニメに関する情報などなど、 いとも気軽にインターネットで調べてくる。 検索語の指定も手慣れたものだ。

有用だが混沌としたインターネット

「インターネットで調べたよ」。こういって子供が持ってくるとき、 親としてまず気掛かりなのは、それがちゃんとした情報源なのだろうか、 ということだろう。 いうまでもないことだが、インターネットには様々な情報があり、 昆虫の飼い方からことわざ、歴史に至るまで、それこそ写真付きで 様々な情報を得ることができる。 しかし、そこはインターネットである。当然、誤った情報や的外れな情報も多数ある。 図書館に行って百科辞典で調べてくるのとは自ずと異なるのである。 検索エンジンで学校の宿題や自由研究などに関して検索すると、 多くは個人が提供する情報である。 これらの個人の方を疑うわけではないが、やはり情報の信頼性には疑問が残る。 結局、1つのサイトのみの情報を信じるのではなく、 複数の情報を元にして確度を高めなさい、というように教えていくしかない。

自由な参加によるオープン型コンテンツ

百科事典のように、各分野の専門家(時にはノーベル賞受賞者さえ含まれる) が執筆し、秩序立った編集方針に基づき何度もレビューを受けたようなものに比べ、 インターネットのリソースの信頼性が落ちるのは当然のことである。 前者は信頼性が高いという利点があるものの、タイムリーでないしコストもかかる。 後者は、最新の情報も網羅されているし、タダでお手軽だが、 混沌としており信頼性がない。 ソフトウェアとのアナロジーでいえば、前者は、 しっかりしたトップダウンの管理体系で開発されたシステム、 後者は、個人の手作りソフトウェアといった感じだろうか。

ソフトウェア開発でもうひとつ近年注目を集めているのが、 いうまでもなくオープンソース型の開発スタイルだ。 開発者達はそれぞれ異なるバックグラウンドやスキルを持っているにも関わらず、 全体として秩序だっていて、それゆえ一定の品質も保たれている。 このようなオープンな形式での開発スタイルを、 コンテンツ構築にも適用した事例が最近注目を集めている。

たとえば、オープンな編集形式をとるオンライン百科事典として wikipedia が有名である。 2001年1月に開始されて以来、日々成長を遂げ、現在、17万以上の項目数(英語版) を誇っており、市販の百科事典に比べてまったく遜色ないところまで来ている。 また、登録さえすれば誰でも記事が投稿できるオープンなオンライン新聞として、 JANJANがある。 大手新聞にはない身近な視点が面白い。 その他、個人の関心事を登録していき、新しい関心事を発掘するための 関心空間、 Q&A 形式での知識蓄積を目指す はてななどがある。

このようなオープン編集型のインターネットコンテンツは、 従来型の辞書や百科事典に比べタイムリーであり情報量も多く、 また、インターネット一般の混沌とした情報に比べ、 秩序立っていて正確であるという意味で、 新しい種類の情報リソースを提供するものといえるだろう。 特に権威ある組織のお墨付きがもらえているわけではないが、 経験的に質の高いコンテンツならば、十分に信頼して使用することも可能である。

オープンだからうまくいくというわけではない

ところで、 このようなオープン型の知識蓄積サイトが今後ますます増えていくのかというと、 どうもそうでもなさそうだ。 筆者は今回のコラム執筆にあたり、 以前にブックマークに入れておいた関連サイトをいくつか再訪してみた。 その多くが、すでに頻繁な更新がなされていない状態になっているか、 もしくは運営方針を変えているものが多かった。 ネットワーク経済の法則に従えば、 同様のサービスを展開するサイト間での淘汰が進む。 これはオープンソース開発プロジェクトと同様なことだが、 「オープン」というのは成功のための十分条件ではない。

前述の盛況を呈しているサイトに共通するところとして、 優秀かつやる気のあるモデレータ(まとめ役)の存在が挙げられる。 こうしたモデレータのたゆみない努力が、 品質を一定に保つことに寄与しているのである。 また、領域もしくは登録の形式を絞ることも必要だろう。 領域が絞られれば、興味のある分野に特化した活性化が期待できる。 また、登録の形式を Q&A 形式や辞典形式などにすることで、 わかりやすさや登録のしやすさが期待できる。 「何でもかんでもどんな形式でも」というのは非常に自由度が高いようでいて、 実は全く使い物にならないというのは、 累々たる過去のナレッジマネジメントシステムの屍が示すところでもある。