数学嫌いから学ぶこと

先日、ある凶悪事件についての特集番組 (いわゆるワイドショー的なものだったと思うが)を何気なく見ていたら、
「容疑者は数学やコンピュータが得意でした。」と言う。
そして、その後番組は、“なるほど”、“いかにも”、“納得”という雰囲気に満ち溢れ、
どうしていつもこうなってしまうのかと思った。。

数学が嫌われるのは有名

“ふつうの人は数学が好きだったりはしない”というのが日本人の通常感覚らしい。 大学の専門は?などと聞かれて数学ですと答えると、
筆者が女性であることも手伝い、たいてい「うわ、すうがく!」などと言われる。
特に悪意もないし、こちらも気にしないが、どうもイメージは悪いようだ。 特にここ数年、数学も含め理系離れが叫ばれてもいるが、
それを置いておいても子どもの頃から数学は(算数も)充分嫌われていたという実感がある。

数学が嫌われる理由が語られることも結構多く、 “生活に直接役に立たないから”といったものは、なぜか妙な説得力を持っていたりする。
筆者が特に感じるところでは、まず一つは、少し大雑把な言い方ではあるが、 ある日何の脈絡もない新しいこと(定義や公式など)を
「とにかくこういうものです。はい、覚えて問題を解きましょう」
と教えられ、これらの突然の常識を一つ受け入れられないだけで置いていかれてしまうから。
もう一つは、それによって何ができるようになったのかよく分からないからだと思う。

コンピュータも同じ道を?

コンピュータも苦手意識を持たれやすい。 そもそも操作が難しいとか、聞いたこともないカタカナの専門用語が多いなどももちろんだが、
数学と同じように、コンピュータと向かい合うときの気持ちの問題も大きいと思う。

例えば、地域で行われている初心者向けの無料IT講習会のテキストの最初のページには、
Wordで文章を打ってみましょうとその操作手順が書いてあった。
ここで「Wordって何なの?これって何してるの?」と考える人は、恐らく遅れをとってしまう。
とにかくこの順番でこう操作してと何の疑問も持たずにこなした人も、
何がなぜできたのかはよくわからないから、家に帰るとゼロの状態に戻り面白くない。
また初心者でなくても、明日からはこのソフトを使うように、決まったことだからとだけ言われたら、
コンピュータがイヤになるというものだ。

学校では、当初コンピュータの授業は、内容的な繋がりからとりあえず数学にくっつけられた。
このことで数学が苦手→きっとコンピュータもだめだろうというイメージを作りだしている。
もっとも、筆者がコンピュータをさわり始めた頃のように、 コンピュータはプログラミングのためのもので、電子メールはレポートを出す手段、
などというわけでもないので、こちらはそれほど心配ないかもしれない。

今どきだからこそ

ブロードバンド、リアルタイム、いつでもどこでもと、すっかりITが浸透している今どき、
コンピュータをさわれない人のほうが珍しいのだからと思う人もいるかもしれない。
しかし、そういう“できて当たり前”がさらにできない人を追い詰め、 ××嫌いや××離れを生むのである。
確率の計算をどうしても解けない生徒によくよく聞いて見ると、 今ごろ分数の計算が苦手とは言えなかったいうのと同じだ。
ITの技術を身につけるというと、 ついつい操作方法を一から平均的に教えようとしてしまう。
そうではなくて、何ができるか、何がやりたいのかを探しながら、 もう少し自由にコンピュータに触れることも大切ではないだろうか。
日常の生活では、 学校のように限られた時間にやり終えなければいけないカリキュラムに縛られるわけではない。 急ぐ必要はないのだ。

アイススポットという言葉を聞いたことがあるだろうか。 ホットスポットに対して、ネットワークが通じない空間のことを言うらしい。
これは、総務省の ネットワーク・ヒューマン・インターフェース研究会が、 昨年まとめた 報告書の中で提唱したものである。 IT推進でもたまにはのんびりという発想がいい。
週末でも出張先でもいつもお仕事をしている方々たまには飛び込みたいのでは。