考える力、ITで退化していませんか

毎日毎日使う情報機器。なくてはならない便利な物ばかりだが、 自分自身が心配になったことはないだろうか。ITの「裏側」とか「影」というと、 情報の信憑性とか有害情報などがよく言われる。 しかし今回はそういった大げさな物ではなく、 身近なちょっとしたことを自戒も込めて考えてみた。

書けない、考えない、覚えない

漢字が書けなくなった。というのは、 パソコンを使う人のできなくなったことの代表ではないだろうか。 (ワープロの時代からそうなのでITと言えるかは微妙だが) 筆者はこの原稿を書くときなど何か考える時はなぜか紙に手書きをするのだが、 よくはたととまってしまう。 今や年賀状も手書きはほとんどないので、 本当に一年を通して字を書くことがない人もいるのでは。

「じゃあ適当に電話するね。」友人と待ち合わせをする時の決まり文句だ。 おおよその場所さえ決めたら、あとは携帯電話で連絡をとる。 ちょっと昔を思いだしてみると、 どの駅の何口はわかりにくいからあの辺りがいいなどと相談したり考えたりしたのに。

数年前 「….地図の読めない女」という本が流行ったが、 地図なんて読めなくても大丈夫。 カーナビで行き先をセットしてそのとおり走れば目的地に着けるからだ。 おかげで何度同じ場所に行っても道を覚えない。 電車で出かけるときは、時間の計算も乗換えも検索におまかせなので路線図も見なくていい。

やめられないけど、このままでは

ではパソコンや携帯電話を手放すのかといえば全くそのつもりはない。 かといってずっとこれらに頼っていけばいいとは思えないのが普通だろう。 例えば 漢字についてのあるアンケートによれば、 読めても書けないことが多くこのままではいけないと感じている人が多い。

そんな風に思う理由の一つは、自分よりも子どもたちへの影響を心配してかもしれない。 小さいころからパソコンがあったら、携帯電話があったら、実はあまり想像がつかない。 学校の図工の時間にお絵かきソフトで絵を書かせて満足しているという話。 情報機器なんて使わずに、一分間スピーチを通して情報の整理の仕方から教えていく試み。 授業で情報をどうとらえていくかも模索中である。 特に子どもを持つ親や教育に携わる人にとっては重大関心事だ。

便利と豊かは違うから

でもそれだけではなくて、 便利になることと豊かになることの違いを無意識に感じているからではないだろうか。 インターネットで簡単に路線検索ができることは、とても便利だ。 しかしそこに充実感や達成感があるわけではない。 最初は便利なこと自体に感動したものだが、それが当たり前になると次の物を求める。 それはきっと、ITを利用すること自体ではなくて、 パソコンで手早く作業ができるようになった分自由な時間が増えたとか、 インターネットで見つけた新しい場所に行って感動したとか、 そういうことなのではないだろうか。 人間はいい意味でも悪い意味でも贅沢なのだろう。

紙の地図を調べつつ首都高を走ったら、ここにジャンクションがあってこう分かれてるの かと把握できてうれしかった。覚えなくてもいいのだが、多分覚えたかったのだ。これも 小さな達成感?とかこじつけてみる今日この頃である。何か古きよき時代とか言っている みたいで年寄りくさいけれど。。