「試験管」から「コンピュータ」へ 〜次世代アーキテクチャの夜明け〜

普段我々が使っているデジタルコンピュータとは全く異なる新しいアーキテクチャを持った計算機の研究が進められている。
分子コンピュータと量子コンピュータである。近い将来、 これらのコンピュータは、デジタルコンピュータにとってかわるのだろうか。

新しいアーキテクチャへの試み

分子コンピュータ、量子コンピュータは、生体分子化学、量子力学といった最先端科学を応用した全く新しいタイプのアーキテクチャで、
デジタルコンピュータに次ぐ、次世代のアーキテクチャとして注目されている。

分子コンピュータでは、生体分子(DNA やタンパク質など)上の塩基配列がデータであり、
分子間の相互化学反応によって計算がなされる。 試験管の中に適当にコーディングされた DNA をいれておくと、
勝手に並び変わってくれて、それが計算結果になっている、というわけである。 今年1月には、オリンパス、東京大学らが共同で、
遺伝子解析用 DNA コンピュータの開発に成功した。 試験管レベルでの研究から一歩踏み出し、
実用的なものとしては世界初となる。今後、評価実験を経て、 遺伝子診断、ゲノム創薬への応用が期待されている。

また、量子コンピュータは、 原子(核)の持つ量子的性質を利用して、 オン/オフに加えその組み合わせをも同時に表現するもので、
従来のデジタルコンピュータとは比較にならないほどの超並列性が期待されており、
素因数分解やデータベース検索に関する具体的なアルゴリズムが提唱されている。 昨年12月には、IBM のアルマデン研究所の試験管の中で、
15の素因数分解(3×5)に成功したと報告されている。
分子コンピュータと比較すれば、いまだ構想レベルにとどまっているとはいえ、 現在の暗号理論は、
デジタルコンピュータにおける因数分解計算の難しさを基本的前提としているので、 もしこうしたコンピュータが実現されれば、
暗号理論はその根本から揺るがされることにもなる。

分子、量子コンピュータは、超並列性とそれによる高速処理が大きな特徴で、
従来のデジタルコンピュータでは到底対処できなかった複雑な計算処理を可能とし、
計算の概念自体を変えてしまうほどの潜在力を秘めている。

カルキュレータとしての分子/量子コンピュータ

20世紀に生まれたデジタルコンピュータは、 電気的なオン/オフによる極めてプリミティブな論理演算処理を基礎としたもので、
これにより四則演算に限らない汎用性の高い道具として用いることができる。 一方、デジタルコンピュータ以前の計算アーキテクチャ、たとえば、
計算尺タイガー計算機、 そろばんなどは、特定の問題、
すなわち四則演算のみを解決するいわばカルキュレータと呼ぶべきもので、 コンピュータとは区別すべきであろう。

さて、分子コンピュータ、量子コンピュータなどの新しいアーキテクチャは、
今後、汎用性を備えた、「コンピュータ」となりうるだろうか。 残念ながら現在のところは、
対象とする特定の問題を直接物理現象や生化学現象にマッピング(コーディング) している状況に近い。
背景としての理論は難解であっても計算としての仕組みは比較的単純で、 コンピュータというよりはカルキュレータに近い。
新しいアーキテクチャが汎用コンピュータとして、 我々にとって身近な存在になるにはまだまだ時間がかかりそうである。

カルキュレータからコンピュータへ

このため今後当面のところは、 遺伝子解析や組み合わせ最適化問題など大規模かつ複雑な計算を必要とするものに応用され、
用途に応じて棲み分けされていくと考えるのが適当だろう (もちろんそれだけでも大変なことだが…)。
しかし、我々が処理する情報は、ますます大規模複雑化している。 実際、
計算機科学における多くの先端的研究分野は計算量の壁にもがき苦しんでいるのである。

たとえば、 SETI@home のようなプロジェクトでは、 超大規模な並列分散環境が必須だし、
今後ますます重要となる大規模な気象シミュレータ、 環境シミュレータなども膨大な計算量を必要とする。 故障診断や設計やプランニング、
あるいはプログラム検証といった分野でさえ、 仮説の組合せによる計算量の爆発抑制が主要な研究テーマだ。
コンピュータをより身近なものにしようという人工知能の研究自体、 膨大な計算をいかに高速にするか、いかにサボるか、
ということが最も重要な研究テーマのひとつとなっている。

分子あるいは量子コンピュータ、 あるいは全く別のものであるかもしれないが、
現在のデジタルコンピュータを越える新しいアーキテクチャが汎用コンピュータとしての機能を身につけたときには、社会全体の大きなブレークスルーになることは間違いない。
もちろんそのときには、「試験管」の形はしていないだろうし、 もしかすると歩いていたりするかもしれないのだが …。