高まる情報化のための公共投資待望論

緊急経済対策の一環として、情報化への公共投資を期待する声は大きい。 たとえば、(社)日本電子工業振興協会は、 「情報化投資が日本経済を救う」のなかで、 8兆円の情報化に対する公共投資を提言している。

情報化投資が経済全体のなかで重要性を増してきていることは事実だ。 アメリカ商務省のリポート「The Emerging Digital Economy」には、 好調な米国経済の牽引役は情報産業であることが誇らしげに語られている。 日本でもバブルが崩壊したあと、情報化投資の伸びが経済の下支え役を果たしてきた。 ところが、今年に入って民間の情報化投資が大きくマイナスに転落してしまったのである。 時期が時期だけに、先の提言からは、 何とか国の情報化投資で需要を支えてもらいたい、 という情報産業界の願いのようなものが透けてみえる。

「情報化への公共投資待望論」は、 よく言われる従来型の公共工事に対する批判ともあいまって、 それなりに説得感があるかもしれない。 ところが、これが単純な景気刺激策の議論であるとすると、 これまでの公共工事とどこが違うのか、と問いたくなる。

情報化投資の対象は、これまでの単純なFA化やOA化から、 データウエアハウスなどのもっと戦略的な情報システムへと変貌してきている。 FRBおよび財務諸表 米国の銀行では、金融システム不安に直面し、 厳しいリストラを断行して経費率を圧縮していた時期においてもなお、 情報化投資だけは堅調に伸びていた(右図)。 このような情報システムは、 組織がだんだんと成熟するのに歩調をあわせて進化するものであって、 一時的な投資でできる代物ではないのだ。

たしかに情報化の公共投資はもっと積極的であるべきだ。 しかし、それが一時的な景気刺激策にとどまるならば、 投資の有効性は大きく削がれてしまう。 民間の落ち込みを国が補ったり、 景気対策だからといって前倒ししたり、といったことはふさわしくない。 長期的なビジョンが必要なのは、 企業ばかりでなく、国においても然りなのである。