漢字が思い出せない症候群

最近、ワープロを使うようになって漢字が思い出せなくなったということをよく耳にする。筆者も時々簡単な漢字が思い出せなくて愕然とすることがある。単に年のせいなのか、ワープロのせいなのかは定かではないが、いずれにしても手で文字を書く機会が減少してきていることは間違いない。

記憶の外部化による思い出せない現象

コンピュータや携帯電話の普及により、漢字を忘れてしまうこと以外にも、電話番号が覚えられない(というよりそもそも覚える必要もない)、カーナビに頼り切ってしまっていて道を覚えることがない、などなどいろいろとある。欧米では、タイプライターの利用により筆記力が落ちていることはずいぶん前から指摘されていたし、スペルチェッカーが自動的にスペルミスを正してくれるとすれば、単語の綴り自体もあやふやになることは避けられない。

また、最近では検索エンジンの普及に伴って、いつでも必要な情報を確認することができるので、あえてがんばって覚える必要もない、ということもありそうだ。あるいは、内容もあまり読まないうちにブックマークに入れるだけで安心してしまっているということもあるのではないだろうか。ブックマークに入れることが覚えることの代替手段となってしまっているのだ。

これらはいずれも「記憶の外部化」ということができる。携帯電話や PC、カーナビに記憶を代替させることによって、意図してかどうかは別にして、自分自身で覚える必要性が薄くなってきているのだ。外部にほぼ無限の容量を持つ記憶装置が持てるということは、我々にとっても非常に頼もしいことではあるが、たとえば、今後、ライフログが外部記憶装置に蓄積されるようになると、自分の過去のことさえ思い出せなくなってしまうのではないか、そんなことを危惧する向きもある。

記憶力は発想力の源

必要なときに調べられるのであれば無理に記憶する必要はないのではないだろうか。そんな疑問に対して、築山 節氏は 「フリーズする脳」 の中で、脳神経外科医としての臨床経験から「クリエイティブな仕事をするためには記憶力が必要である」として、警笛を鳴らしている。コンピュータでいえば、複雑な処理を高速に行うためには、情報やデータを外部記憶装置ではなく内部メモリ上に展開しておく必要がある。検索エンジンで調べられるからといって、頭の中に何もない状態ではクリエイティブな発想は得られない、というわけである。

暗誦する、暗算する、文字を書く、これらはより高度な思考をする上においても基本的なスキルである。年を取ればいずれ忘れてしまう、できなくなってしまうということは否定できないにしても、これらのスキルの上に高度な思考が成り立っていることは忘れないようにしたいものである。

新しい道具を前にして必要とされる新しい能力

しかしながらより長期的・歴史的な視点にたった場合には、人間に求められる能力は技術の進歩とともに必然的に変化していくべきものである点も指摘したい。過去人類が辿ってきた歴史的変化を踏まえて、現在の状況を冷静に分析してみることも必要である。

たとえば、記憶の外部化、という点に関していえば「文字の発明」や「印刷術の発明」自体、人類にとっては大きな記憶の外部化の一歩ではなかったか。印刷された書物が普及する以前には、記憶による口述伝承が中心であったはずである。ソクラテスが、文字による記憶力の低下を憂いていたのは有名な話である(このためソクラテス自身は著作を残していない)。当時もまた、文字に頼ることで人間の記憶力や思考力が退化することが懸念されていたのではないだろうか。

確かに文字の発明により、人間の能力における記憶力の重要性が低下したということはあるかもしれないが、反面、人間は読む力など、新たな能力を身につけてきた。現代においては、読むことに加え、映像を見る力も重要な基本的スキルである。このように考えれば、コンピュータやインターネットといった新しい道具を手にした我々においては、むしろ新しい能力、たとえば、大量の文章から傾向を適切に把握する能力、さまざまな情報を抽象化し知識化する能力といったものが今後必要になってくるのではないだろうか。記憶に関していえば、何を記憶しているかではなく、「何がどこに記憶されているのかを記憶している」といったいわばメタな記憶が必要になってくるだろう。

たとえば冒頭の漢字に関していえば、漢字は思い出せないにしても何が正しくて何が誤っているかはわからなくてはならない。ブックマークに入れて、入れたことすら忘れてしまうのではなく、どんな情報がどこに入っているかは知らなくてはならない。新しい道具を前にして、我々はまだ十分にそれと共存する術を知らないのかもしれない。テレビでいえば、チャンネルを回して自分の好きな番組を選ぶというレベルではなく、未来から今を振り返ってみれば、街頭テレビで映っている画像をただただ驚いて眺めている、というレベルなのかもしれない。