少し前の話であるが、 9/12に開催された 社会情報学フェア2005 における「Webが生み出す関係構造と社会ネットワーク分析 ワークショップ」の内容は大変興味深いものであった。 このワークショップでは、日本最大のSNSサイト mixi を題材にして、実際にmixiのデータを使い、ネット社会上でどのように人間関係が形成されるかを分析している。 これを基に、ネット社会と実社会のギャップについて考えてみた。 なお、以下にあげたギャップは同ワークショップで述べられたものであり、それへの所感という形で書いている。
ギャップ1:人格の多義性を許さない点
ワークショップで述べられたSNSの特徴として印象深かったものに「SNSは、人が人間関係の中で自然と役割を使い分けている人格の多義性を考慮していないことが、実社会とのギャップになっている」ものがある。 たしかに、実社会では、会社内の人間関係、仕事上での付き合い、家族、親族、友人、趣味の仲間など、それぞれのコミュニティにおいて、たとえ意識せずとも、そのコミュニティ用の人格あるいは役割性格で対応している。これが人格の多義性であり、これにより緊張感をもって仕事をし、リラックスして友人と語り合うということが可能となる。ところが、SNSは、たとえSNS内で実名を明かさないにしても、同一人物は同一IDという基本規約に従う限り、この人格の多義性が許されない。 人格の多義性が許されないということは、ともすれば窮屈な社会として いずれはSNSに参加しなくなるということも考えられる。
ギャップ2:関係の構築・維持にコストがかからない点
もう一点、同ワークショップで指摘されたことで、共感できるものが、「SNSの人間関係の維持コストが低い」ということである。実社会では、人間関係(信頼関係)の維持にとてもコストがかかるため、あえて、多くの人間関係を構築しないということがみられるが、SNSでは、人によっては、手軽に多くの人間関係(mixiでいえばマイミク)を作ったり、一度張ったリンクは、その疎密によらず、見かけ上維持されたままである。 これは、人間関係の構築にも維持にもコストがかからないということであり、 これゆえSNSは会員数を伸ばしていったのだが、果たしてこのままでよいのだろうか?
ギャップ3:関係がたぐれ・履歴が残る点
リアルの世界では、自分から見えている人間関係は、自分の直接の友人まで。友人の友人がどんな人か知る機会はそう多くない。しかしmixiなら、マイミクをたどったり、友人の日記のコメント欄を見ることで、友人の友人の人となりを知る「人間関係をたぐる」ことができる。 ワークショップでは、コミュニティがどのように形成され、相互に関係しているかを 図示したものもあった。 人間関係をたぐれるということがSNSの特徴であるが、 逆にたぐれるということが実社会と異なる点でもある。
成熟したネット社会への期待
以上、ネット社会と実社会の3つのギャップを上げた。 「ネットはネットであり、実社会とは異なる」と割り切ればそれでよいのかもしれないが、 このような点を考慮するとSNSは、まだまだ発展途上で未成熟なコミュニケーション手段と思われる。 しかし、裏を返すと これらを解決したSNSサービスが提供されれば、 ネット社会の居心地ももっとよくなるのではないか、 と思われる。
以下のような実社会に即した機能を加えることにより、 よりリアリティのあるネット社会が築けるのではないだろうか?
- 同一IDで人格の多義性を許し、自分の属するコミュニティを人格ごとに限定できるようにする。
- 関係の強さを表す尺度を入れる。例えば頻繁にやりとりする相手は常にTOPに表示するなど。
- 関係や履歴の保存を一定期間にすることができる。つまり人は忘れることにより新しいものを得る。
本文中のリンク・関連リンク:
- 社会情報学フェア2005
- mixi :日本最大のSNSサイト
- gree :mixiに次ぐSNSサイト