日本にコンテンツプラットフォームは生まれるか

端末+コンテンツ+サービス=プラットフォーム

先日、アマゾンの電子書籍端末Kindleの最新モデルを購入した。小さくて読みやすく、とても満足している。ただし日本語は表示できるものの、公式のKindle Storeでは日本語の書籍を取り扱っていない。仕方がないので今は語学学習を兼ねて英語の本を読んでいる。書籍はKindleからそのまま購入することもできるし、PCで購入してKindleへ転送することもできる。電子書籍端末というとどうしても端末としての完成度が話題になるが、Kindleについて言えばいつでも簡単に様々な書籍が購入可能で、携帯電話など他の端末ともデータを共有できる……とコンテンツやサービスも含めたプラットフォームとしての充実度がなによりの魅力である。

この新Kindleは米国でたいへんな人気らしい。使っていて思い返すのはiPodのことだ。かつて、iPodはCDのデータをリッピングして聴くための製品であった。そして今ではほとんど誰も覚えていないかもしれないが、初代のiPodは決して人気製品ではなかった。しかし専用の音楽ストア iTunes Store が登場し、楽曲がオンラインで簡単に購入できるようになったことで人気は急拡大した。そのあとに登場したiPhoneでは端末自身で楽曲が買えるのでさらに手軽である。こうなるともはや音楽プレーヤーというより音楽プラットフォームであり、ほかの端末もサービスは太刀打ちできない。iPhone以外の音楽プレーヤーではiTunes Storeのデータが使えないし、iTunes Store以外の音楽ストアはiPod / iPhoneとうまく連携できないためだ。

最近では動画配信分野で同じようなプラットフォーム化に向けた動きが盛んである。たとえばアップルは99ドルという挑戦的な価格のApple TVを発表し、テレビドラマなどのコンテンツを安価にレンタル配信しはじめた。アマゾンはさっそく対抗し、おなじようなコンテンツを安価で販売している。すでに同社のサービス(Amazon VOD)は複数のセットトップボックスと連携しており、アマゾンで購入した動画はテレビでも簡単に見ることができる。また、GoogleはGoogle TVの年内発売を予告しており、コンテンツ面ではYouTube経由での有料動画配信が噂されている。Google TV内蔵テレビを販売するのはソニーである。米国にはもともと動画配信で高い人気を集めているHuluやNetflixといったサービスもあり、手軽になった動画配信ビジネスはこれから戦国時代となるだろう。(ちなみにApple TV、Amazon VOD、Google TV、Hulu、Netflixはすべて日本からは利用できない。Apple TVは英国やフランスなど米国外でもサービスが開始しているが、日本での提供時期は未定である)

コンテンツプラットフォームのない日本

寂しいのは、こうした動きに対応している日本企業がほとんどないことだ。電子書籍端末や音楽プレーヤーは国内メーカーからもいくつか販売されているが、Kindle StoreやiTunes Storeに太刀打ちできるようなコンテンツを揃えたサービスはひとつもない。そもそもサービスがなければ、端末とサービスを連携したプラットフォームは夢のような話である。ソニーは電子書籍端末Sony Readerや、前述のGoogle TV内蔵テレビなどを手がけており、こうした分野へ積極的に取り組む数少ない日本企業ではあるが、いずれも国内での展開は正式に発表されていない。

日本にも挑戦的なサービスがないわけではない。電子書籍の例で言えば、ブクログのパブーや、星海社が手がけるウェブサイト「最前線」などは、読み手のことをよく考えた面白いサービスである。また、そもそも日本の電子書籍市場を振り返れば、大半が携帯電話向けコミックであることにも注目したい。これは携帯電話という優れた国産端末があり、コミックという日本人向きのコンテンツがあり、キャリア課金というサービスインフラが整備されているから広がったプラットフォームである。

しかしこうした例外を除けば、ほとんどの日本産コンテンツはデジタル化されていない。日本にもこれまで電子書籍ビジネスがなかったわけではないが、いずれも蔵書数は少なく、価格は高かった。Kindle Storeは67万冊以上を揃え、55万冊が10ドル以下だが、それでも足りないと言われるほどである。おまけに、コンテンツを揃えるのは最低限の下地にすぎない。それを支える端末・サービス・コンテンツを結びつけるプラットフォームこそが重要なのだ。いまの日本は、KindleやiPadといった米国発の端末だけが先行して輸入され、コンテンツを揃えるためにユーザーが自ら紙の書籍を裁断しスキャンする「自炊」が話題となる、なんともいびつな状態である。

試行錯誤が足りない

もし紙の書籍の人気が維持されているのなら、出版社が電子出版への取り組みが遅れてもなんの問題もない。しかし多くの出版社が倒産し、書店の数は減り続けている。今日には情報も娯楽も山のようにあるので、書籍は存在感を失う一方である。

米国のコンテンツ企業だって喜んでデジタル化の波に乗ったわけではない。かつては音楽レーベルとアップルが激しくやりあったし、最近は出版社とアマゾン(と出版エージェント)が取り分を巡って争っている。しかしCDや紙の本がこれから人気を取り戻すとは考えにくい。コンテンツ企業は好むと好まざると、デジタル分野に打って出るしかない。米国企業はそれを理解しているからこそデジタル化を進め、試行錯誤を繰り返し、ノウハウを蓄積させている。

日本では今年になってさまざまな電子出版の業界団体が生まれた。これでようやく初代Kindleが発表された米国の2007年末に追いついただろうか。すでにKindle Storeでは「ミレニアム」シリーズで知られるスティーグ・ラーソン(故人)が累計百万部を売り上げた。日本でも人気作家(村上春樹とか)の新刊が1000円ほどで買えたなら、電子書籍は一気にブームになるだろう。そうすれば人は電子書籍端末を買い、ほかの電子書籍に費やす時間とお金も増えるはずである。しかし、十分なコンテンツを揃えられず、プラットフォームとして一体感のあるものを提供できなければ、過去の失敗を繰り返すだけだ。もちろん、日本のコンテンツホルダーとしては、貴重な資産をデジタル分野でどう活用するかというのは非常に難しい問題である。しかし試行錯誤の時間はもうあまり残されていない。けっきょくのところ、音楽が売れずに困るのは音楽会社であり、書籍が売れずに困るのは出版社なのである。